茶は、その淡い風味と深遠な文化的価値により、何千年も前から全世界で愛されてきました。しかし、茶の起源は何でしょうか?そして、どのように世界中に広まったのでしょうか?今日は、茶の歴史について簡単に振り返ってみましょう。
茶の起源には様々な説があります。
一つの説としては、神農(しんのう)が多くの植物の薬効や毒性を調べるために、様々な植物を試食して、35回目の中毒の時、手元にあった葉を口に入れて噛みました。予想外に、この葉が毒を解毒してくれたのです。その葉が最初の「茶」となったそうです。
もう一つの説では、煮沸した水しか飲まない神農は、ぬるま湯を飲んでいる時、たまたま一枚の葉がぬるま湯に落ちてきました。それを飲んだ神農は美味しく感じました。それが神農の初めて飲んだ「お茶」となったそうです。
茶の起源は神話のようにも聞こえますが、神農が茶を飲んだという記録以来、中国の人々は茶を飲む習慣を始め、茶は中国人の生活に不可欠なものとなりました。また、文人たちの推進によって、お茶の文化も育まれました。
古代中国の文化は各国に広がり、お茶もこれに乗じて全アジアに伝播していきました。遣唐使や留学僧によって日本に持ち込まれたお茶は、日本独自の茶道文化の芽を生み、その文化は今日まで息づいています。
明王朝期においては、茶は磁器や絹とともに、中国の主要な輸出品でした。茶はヨーロッパまで伝わったものの、最初はあまり受け入れられませんでした。あるドイツの医師は「茶に毒性がある」と主張して本を執筆するほどだったのです。
しかし、ポルトガルの王女「キャサリン・オブ・ブラガンザ」は大のお茶好きでした。彼女がイギリス王チャールズ二世と結婚したことで、お茶を飲む習慣がイギリス王室にも広がりました。今、イギリスで広く紅茶が愛飲されているのは、キャサリン妃の紅茶愛とその推進のおかげとも言えます。
イギリスでお茶が流行したのには一つの要因があります。その時代、コーヒーハウスやパブは男性向けでしたが、茶の普及と共に、イギリス全国に広まったティールームが女性に社交の場を提供しました。その後、公園などで音楽付きティーサロンやさまざまなティーパーティーが開かれ、女性たちは女友達や女性の親戚と一緒にお茶を飲みながらおしゃべりを楽しむ機会が増えました。こうして、イギリスの茶文化はさらに豊かになりました。
神農の偶然の発見がきっかけで、今日では世界中の人々がお茶を楽しむことができるようになりました。地元の文化と習慣で風味をアレンジし、甘茶、苦茶、ミルクティー、塩味のお茶など、さまざまなお茶が世界中で作られてきました。ここまで読んでくださったあなたもきっと、お気に入りの一杯があるのではないでしょうか。
(文・千帆/翻訳・鶴崎ミネ)