自分の鎧と武器を捨てた郭子儀は一人で回鶻の将軍と会い、回鶻軍がすぐに郭子儀の軍隊に加入した。北宋・李公麟「免胄図」(パブリック・ドメイン)

 宋の中期、鄭州円照寺に大変敬われている高僧がいた。その名は道悟である。唐代の名将郭子儀の転生と言われており、生まれた時から常人と違って歯と髪が生え揃っていて、全く赤ん坊らしくなかったとのこと。

 道悟は16際になった時、出家を決意したものの、両親に断固として反対された。それでも道悟は意志を曲げず絶食で決心を示した。両親は仕方なく、道悟が故郷の小さなお寺で僧侶となることを許した。

 それから2年が経って、道悟が出かける際に、臨洮(甘粛省に位置する)という所に泊まった。その夜に、ある僧侶が木魚を鳴らしながら、自分の名前を呼んでいるという夢を見た。驚きの余り、はっと目が覚め、目が覚めた途端に外から馬の鳴き声が聞こえた。道悟は何かを悟ったようで、故郷に帰ってから、両親に別れを告げ、行脚に出た。

 当時、熊耳山(河南省に位置する)に有名な白雲海という禅師がいた。しかし、弟子は一人もおらず、どうして弟子を入れないかと聞かれた時、禅師は「弟子を入れないわけではなく、弟子を待っているのだ。彼は最北方向にいるが、すでにこちらに向かっている」と答えた。

 ある日、禅師は突然境内の僧侶を集め、「もうすぐ我が弟子が来るので、迎えの支度を。この寺はもともと唐代の大将郭子儀が建てたもので、彼は住職に来るのだ」と告げた。皆驚きながら、道悟を迎えた。

 道悟が寺に入った途端に、禅師は「お前はどうしてこんなに遅いのだ」と問い詰めた。道悟は「はい」しか答えなかったが、禅師は満足げに住職を受け継がせ、引退した。

 道悟が来るまで、現地の百姓は盗賊に苦しませられていた。多くの百姓は禅師に盗賊をやっつけるよう依頼したところ、禅師は郭大将軍が来るまで待つように伝えただけ、百姓はわけがわからないまま、言われる通り待ち続けた。

 道悟が来てから僅か3日後、僧侶たちを率いて盗賊を捕まえた。そして、盗賊が道悟の勧告を受け、みんな僧侶になった。それから、百姓には安穏な暮らしができるようになり、道悟が唐の名将郭子儀の転生であることが広まった。

 道悟は1205年に臨洮に再び訪れ、説法を始めた。多くの人が説法を聞きに集まった。同年5月12日に道悟が円寂した。当時寺の上空に色鮮やかな雲(縁起の良い景色)が見られ、赤い光が空いっぱいに広がるなど不思議な光景が3日続いた。これを目にした人は皆驚き感心した。

(文・木木/翻訳・北条)