(宋王朝期の)兎毫建盞・上海博物館(Isakomirro, CC BY-SA 4.0 , ウィキメディア・コモンズ経由で)

 「建盞(けんさん)」とは、「建窯(けんよう)」で焼き上げられた黒釉(こくゆう)の磁器の総称です。北宋王朝末期から南宋王朝早期までの喫茶文化に伴い、多彩な逸品が生まれました。

 茶の風が国中に吹き渡っていた宋王朝期に登場した「建窯」。現在の福建省建陽県水吉鎮に、その跡地が残されています。ここで作られた「建盞」と呼ばれる磁器は、かつて宮廷専用の調度品として重宝されていました。

 宋王朝期、茶の学問と芸術を研究していた皇帝・徽宗は、大のお茶好きでした。徽宗は、茶の研究本『大観茶論(たいかんちゃろん)』を著述したり、宮廷で大臣たちとお茶の宴会「茶宴」を催し、自ら茶を点て振るまっていたそうです。徽宗の画作『文会図』は、当時のお茶の宴会の様子を表現しました。そして、その絵の中の茶を点てる机の上に置かれている青黒色の茶碗が、まさに徽宗が愛用していた「建盞」なのです。

 徽宗の茶を愛でる心は、宋王朝の茶の文化を大きく発展させました。「建盞」は茶と共に、宋王朝期を生きた文人の生活と作品に頻繁に登場しました。徽宗①をはじめ、北宋の名臣・蔡襄(さい・じょう)②や大文豪の蘇軾(そ・しょく)③、そして有名な詩人楊万里(よう・ばんり)④も、自身の詩作に茶事を描きました。

 しかし、優秀な「建盞」を焼き上げるのは極めて困難でした。良品率が大変低く、焼成しても不良品だらけの場合もあったそうです。精緻で美しい「建盞」を焼き上げるには、あらゆる工程で万全を期すことは勿論、温度管理も非常に重要なポイントでした。

 「建盞」には、主に「兎毫(とごう)釉」と「油滴(ゆてき)釉」の二種類があります。宋王朝期には「兎毫」がより好まれたので、「兎毫」は「建窯」を代表する最大の生産量を誇る磁器でした。漆黒の釉の上にあらわれた均一の銀色の細い線条が、ウサギの毛のように見えることから「兎毫」の名がつけられました。日本では、この模様を穀物の穂の細い毛に見立てて、「禾目(のぎめ)」と呼んでいます。上級品の「兎毫建盞」では、均一で高密度に細長く整った線条が磁器の内側から外側まで、上縁から底まで描かれています。宋の徽宗は『大観茶論』で、「盞は、青黒色のものを貴として、(その中でも)線条が均一で高密度なものを上とする⑤」と、「兎毫建盞」を称賛しています。

 一方の「油滴釉」は、特殊な黒釉の種類の一つです。その特徴は、釉の上に大小様々な銀灰色のメタリックな光沢をもつ点が、無数に散らばっていることです。大きな点は数ミリ程ありますが、針先のように小さな点も存在します。あたかも油滴が飛び散ったような模様を作り出すので、その名が生まれました。

 この他にも「建盞」の職人が生涯をかけて追求していたものがあります。それは、日本で「曜変天目」と呼ばれる「建盞」の最上級品です。漆黒の釉の上に不規則に散らばっている無数の点は、中心が黄色く、周囲は暈状の青色や青紫色で、見る角度によって変化する玉虫色の光彩を放ち、まるで宇宙に遍く広がる星々のようです。

 現在「曜変天目」と認められた完品は、世界に三つしか存在していません。その全ては、中国でも台湾でもなく、日本に保管されています。それぞれ、「大阪・藤田美術館」「東京・静嘉堂文庫美術館」「京都・大徳寺龍光院」に収蔵され、いずれも国宝に指定されています。

 これほど貴重な「曜変天目建盞」はどのように日本に伝来したのでしょうか?宋王朝期における日中交流は絶えることなく続いており、仏法を求めて宋に向かった日本の僧侶たちは、帰国時、宋で学んだお茶の作法と手に入れた茶器を持ち帰ったそうです。「曜変天目建窯茶碗」は、このように日本にたどり着いたと考えられます。

 ところが、磁器における「曜変」や「天目」は、いずれも日本で生まれた言葉で、中国の文献にはありませんでした。「曜変」は元々「窯変(容変)」と表記され、陶磁器を焼く際の予期しない色の変化を指していました。その星のような紋様・美しさから、「星の瞬き」「輝き」を意味する「曜(耀)」の字が当てられるようになりました。

 完品が日本だけにあり中国や台湾にないことや、このような紋様が現れる理由が未だに完全には解明されていないことで、美しい「曜変天目」に、さらに神秘的な価値が増しました。そして「建盞」の技術も逸失してしまい、「建盞」は「幻の磁器」と呼ばれるようになりました。しかし、「建盞」の無限の宇宙を感じさせる確かな美しさは、今でも失せることはありません。もしかしたら、「建盞」の美しさを再現するには、宋代の人々のように、天への畏敬と心の中の清浄を取り戻すことが必要なのではないでしょうか?

註:
①兔毫連盞烹之液,能解紅顏入醉郷。趙佶『宮詞其七十四』より
②兔毫紫甌新,蟹眼清泉煮,霧凍作成花,雲閑未垂縷。蔡襄『北苑十詠・試茶』より
③道人曉出南屏山,來試點茶三昧手。忽驚午盞兔毫斑,打作春翁鵝兒酒。蘇軾『宋南屏謙師』より
④鷓鴣碗麵雲縈字,兔毫甌心雪作鴻。不待清風生兩液,清風先向舌端生。楊万里『陳蹇叔郎中出閩別送新茶』より
⑤中国語原文:盞色貴青黑,玉毫條達者為上。(『大觀茶論<盞>』より)

(文・戴東尼/翻訳編集・常夏)