中国は、古代より「神州」と呼ばれ、神仏にとっても重要な神伝文化を繰り広げてきた大地です。中国の古書には、神仙にまつわる物語が数多く記載されています。
今日は「道」を修める者の家に舞い降りた、仙女・萼緑華(がく・りょくか)の物語をご紹介します。
東晋王朝期で黄門侍郎①を勤めた羊権(よう・けん)は、朝廷の大臣でありながら、先祖代々と同じく、修道(しゅどう)にも専念していました。升平三年己未十一月十日(紀元359年12月15日)の夜、羊権の家に突然、一人の仙女が訪れました。
仙女の名は萼緑華。20代の顔立ちの容姿端麗な仙女で、青い衣を身にまとっていました。彼女は、南山からやって来た者だと言いましたが、羊権には彼女がどこの神なのかは分かりませんでした。
緑華は、「私のもともとの姓は楊です。かつて九嶷山②で修煉し得道しましたが、前世で授乳中の婦人を毒殺したという殺生の大罪を犯したので、それを償うために、汚れた下界に落とされたのです」と言いました。
その後の1か月間、萼緑華は羊権の家を6度も訪れました。羊権に詩を贈ったほか、火浣布③製の良質な手ぬぐい、黄金製と玉石製の腕飾りを贈りました。大きな指輪の形をしたその腕飾りは、とても精巧で美しい出来上がりでした。
緑華は羊権に「くれぐれも私が人間世界に降りてきたことを漏らしてはいけません。さもなければ、あなたも私も罪を犯すことになるでしょう」と、繰り返し言い聞かせました。しかし、羊権には何の罪にあたるのか理解できませんでした。
すると緑華は、羊権にも理解できるよう優しく説明してくれました。
「修道者から見れば、刺繍の施された美しい服は、家にあるぼろ雑巾と変わりありません。また、名声や地位は、通り過ぎる雲のようなものです。金石や美玉も、修道者のにとっては小石と変わりません。修道者は、私欲がなく、思い煩うことがなく、こだわりもない一方、人ができないことができ、人が学べないことを学び、労苦をいとわず物事に励むことができ、人が得られないものを得ることができます。普通の人は俗世間の事を学びますが、私は俗世間の事に気を掛けないことを学びます。人が名声と富を得るために苦労するのに対し、私はひたすら心性の修煉に励んだのです。人はやがて老いて死にますが、私は年を取らないでずっと長生きしているので、修煉を始めて既に900年経ちました!」
このように語った後、緑華はさらに、羊権に道家の修煉術「尸解④」を伝えました。羊権はこれに従い修行を終えた後、湖北省東部の山中で姿を変え、得道して神仙になったそうです。
参考文献:『太平広記・57巻<女仙二>』
註:
①黄門侍郎(こうもんじろう)とは、中国の官職名の一つ。秦において、皇帝の勅命を伝達する官職として創始され、漢以降の歴代王朝にも受け継がれた。秦や漢では、禁中の門(禁門)が黄色に塗られていて「黄門」と呼ばれていたため、皇帝に近侍するこの官職(郎官)は「黄門侍郎」と称されるようになった。
②九嶷山(きゅうぎさん)とは、中国・湖南省南部の寧遠県の南にある山。九峰から成り、その形が皆似るところから、見る人が迷い疑うことによる名という。
③火浣布(かかんぷ)とは、石綿糸(せきめんし)で織った不燃性の布のこと。煤や垢などの汚れも火の中に投入して焼けば、布は燃えず汚れだけが落ちるところから、火で浣(すす)ぐという意味でこの名がある。
④尸解(しかい)とは、道家の術で、神仙となって化し去ること。
(文・暁浄/翻訳・夜香木)