明王朝の始祖、初代皇帝である朱元璋(しゅ げんしょう、1328年―1398年)(イメージ:看中国/Vision Times Japan)

 明王朝の太祖皇帝である朱元璋(しゅ げんしょう、1328年―1398年、明の始祖、初代皇帝)は、各地に官吏を赴任させる際に、必ず彼らを皇居のある井戸まで連れて行ったと言われている。
「清廉な官員というのは、支給される俸禄で生計を立てるべきだ。この井戸のように、井戸水は一杯になることがなくても、一家が暮らすには充足なはずだ。しかし、外から水を注ぎ込むと却って溢れ出し、土台を高く作り上げなくてはいけないため、崩れたら最後、お前たちは罷免されかねないことを覚悟するが良い」と忠告したという。

 多くの官吏は、この教えに従い、法律を遵守し、廉潔な姿勢を貫いた。

 常州郡守・許度は、太湖に生息する白魚が大の好物だった。そんなある日、訴訟に勝とうとしたある漁師が、何匹もの肥えた白魚を許度に差し上げた。だが、許度はあっさりとお断りをした。

 納得いかない漁師はつい問いかけた。
「貴方様はお魚が好物のはずです。なのに、何故ご受納頂けないのでしょうか。」

 すると、許度はこう答えた。
「貴方のお魚を貰うのは横領に等しく、職を解かれ、官職も俸禄も失ってしまう。今後お魚さえ買えなくなるというわけだ。代わりに、訴訟が終わったら、漁法と漁網の編み方を教わるとしよう。」

 訴訟の判決が終了したら、許度は約束通りその漁師に漁法と漁網の編み方を教わり、しっかりと身につけたのだ。

 そしてある日、朱元璋が常州に巡訪することになり、許度は大漁で宴会を開き、朱元璋とその随行の官吏たちを招き入れた。

 宴会中、朱元璋は思わず、
「貴方の俸禄で、このように多くの魚は買えないはずなのでは?」と問うことに。

 許度は自ら漁に出て獲ってきたものと答えたが、当然朱元璋に信じて貰えず、結局二人で湖に船を出すことになった。すると、許度の熟練漁師並みの見事な網撒きと捕獲を目にした朱元璋は大いに歓喜し、許度を褒め称えて賞金として白銀百両を与えた。

 朱元璋の「井戸の守り」の哲理と厳格な律法により、明代には名を竹帛に垂る清廉な官吏が数多く輩出された。

(翻訳・梁一心)