中国河南省洛陽市白馬寺山門(Robert Schediwy, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons)

 「夢」は、私たちにとって身近なものでありながら、不思議なものでもあります。毎晩のように夢見る人がいるほど身近な存在でありながらも、その原因や成り立ちになると、説明するのが難しい神秘的な存在です。

 歴史上には、数多くの有名な夢が記されています。これらの夢は全て不思議な夢だと言えますが、その中でも最も有名な夢を挙げるとすれば「漢の明帝・劉荘が見た夢」になるでしょう。

 『資治通鑑』などの史書によると、東漢の永平7年(紀元64年)のある日、漢の明帝が夢を見ました。その夢の中で、体全体が金色に輝き、後頭部をオーラで覆った神様が、西の方より殿庭に飛んできたのを見ました。明帝はその神様に近づこうとしましたが、神様はまた西の方へ飛び去ってしまいました。

 翌日、明帝は大臣たちを集め、夢で見たことを話し、その夢の意味や金色の神様の由来を尋ねました。大臣が「陛下の夢は佛陀の啓示だ」と解釈すると、これは天命だと思い、すぐに臣下の蔡愔(さい・いん)たちを、天竺(現在のインド一帯)へ派遣しました。

 蔡愔一行は、多くの苦難を経て大月氏国(現在のアフガニスタン一帯)に到着し、インドの二人の僧、摂摩騰(しょうまとう)と竹法蘭(じくほうらん)に出会い、佛教の経典を学び、そして釈迦の肖像画と『四十二章経』を頂戴しました。

 その3年後の紀元67年、蔡愔は摂摩騰と竹法蘭を洛陽に招きました。白馬に乗ってやってきた二人の僧を、明帝は喜んで接見し、外交官署に滞在させ、『四十二章経』を翻訳してもらいました。翌年、明帝は洛陽の雍門の外に僧院の建設を命じました。これが中国初の寺院「白馬寺」です。

 白馬寺の歴史的な意義も大変重要で、中国佛教の「祖庭」や「佛教の源流」として知られています。佛典や佛像を乗せて運んできた白馬の功績を称えて、寺は「白馬寺」と名付けられました。

 以来、佛教は中国の中原地区で花咲き、現在に至るまで受け継がれ、成就した歴代の僧侶が数多くいます。こうして歴史を振り返ると、漢の明帝が見たあの夢は、非常に重要な意味を持ち、後世へ強く深い影響を与えているようですね。

(文・徐栄/翻訳・清水小桐)