廬山山頂の日の出(No machine-readable author provided. Chenyun~commonswiki assumed (based on copyright claims)., CC BY-SA 2.5, via Wikimedia Commons)

 「白日飛昇(はくじつひしょう)」という言葉をご存知でしょうか。これは、人が佛法や道法を修煉し続け、最高次元まで修煉した結果、功能を身につけ、白昼に人が空高く舞い上がることです。とても不思議に聞こえますが、このようなことが本当に実在するのかもしれません。

 北宋時代に編纂された『太平広記』という書物に、仙人になった戚逍遥(せき・しょうよう)という女性の物語が記されています。

 戚逍遥は、冀州南宮(現在の河北省邢台市轄)の出身で、彼女の父親は教師をしてお金を稼いでいました。

 10代の頃の逍遥は、道教に興味があり、淡泊で物静かで、戯(たわむ)れたことは一切しませんでした。逍遥の両親も道教を信じており、陰徳を積むことを心掛けていました。父親は、逍遥に『女誡』を読むように勧めましたが、逍遥は「これは凡人のための書です」と言い、いつも老子の著した道教の経典を取り出し、暗唱するほど読んでいました。

 二十代のある時、戚逍遥は地元の男性、蒯潯(かい・じん)と結婚しました。義父と義母は厳しい人で「養蚕などの農作業を怠けるな」と、よく逍遥を叱りました。それでも逍遥は、一日中、斎戒と修行だけを気に掛け、日常の生活を全く気にしなかったので、夫の蒯潯にも度々叱られました。

 逍遥は、義父母に実家に戻してくれるよう頼み、一度は実家に帰らせてもらいましたが、実家の両親も「蒯家に戻れ」と彼女を責めました。結局、逍遥は「私は俗世間のことができない」と考え、義父母に負担を掛けないよう「一人で小さな小屋に住んで修行をさせて下さい」と言いました。しかし、逍遥を疑った蒯潯と義父母は、小屋の中の彼女を見捨ててしまいました。

 逍遥は、食事もせず、線香と水だけに頼り、静かに修行に励みました。彼女は「微笑みながら滄海が塵になるのを眺め、王母花の前で真人の皆と別れを告げる。千年も経った後、私は天上へ帰り、この世の人々を大切にするだろう」と詠いました。この頃には、蒯家も近所の人たちも皆、逍遥を妖怪と見なしていました。

 ある日の真夜中、逍遥の小屋から他の人の話し声が聞こえましたが、朝になって小屋を覗くと、逍遥が一人で座っているだけで、慌てる様子も見せませんでした。

 それから三日後の朝、蒯家の全員が家屋が壊れる雷のような爆音を聞きました。蒯潯が急いで逍遥の小屋まで駆けつけると、小屋の中には逍遥が着ていた服と靴しかありませんでした。しかし、空を見上げると、雲霧のなかに鸞鳥と仙鶴が飛んでおり、仙楽が響き、香軿が止まり、護衛が掲げた色とりどりの旗がずらりと並んでいました。仙人たちと一緒に雲の中にいた戚逍遥が、地面にいる蒯潯に別れの言葉を告げると、その声がはっきりと聞こえました。

 蒯潯はすぐに馬に乗って、逍遥の両親に知らせに行きました。逍遥の両親が到着すると、まだ逍遥が白日飛昇している様子が見られました。話しを聞いた近くの人々も駆けつけて来ましたが、感嘆しない人はいませんでした。

出典:『太平広記・70巻<女仙十五>』
註:
①陰徳(いんとく)とは、人に知られることなく、良い行いを重ねて行うこと。
②女誡(じょかい)とは、班固の妹班昭(曹大家)が撰した中国後漢の儒家女訓書。
③斎戒(さいかい)とは、心のけがれを清め,身のあやまちを禁じること。
④滄海(そうかい)とは、青々とした海。大海原。
⑤真人(しんじん)とは、 真理を悟り、神妙の域に達した人。道教で仙人のこと、また道士の尊称。
⑥中国語原文:笑看滄海欲成塵,王母花前別衆真。千歲却歸天上去,一心珍重世間人。
⑦鸞鳥(らんちょう)とは、形は鶏に似て、羽の色は赤色に種々の色をまじえ、声は五音にあたる鳥のこと。
⑧香軿(こうへい)とは、香木で作った美しい車。帳がついており、主に女性が乗用。

(文・虹影/翻訳・清水小桐)