「藻井」とは、中国の伝統的な建築物に用いられた装飾された天井のことです。
宮殿や寺院などの建築物では、天井が細密な斗栱①に支えられて、中央が開いた傘のように高くなっており、全体的に円形凹型、正方形または多角形の井戸の形をしています。「藻井」とは、その天井の「井戸」のことで、井戸の中は、複雑な紋様や美しい彫刻が施され、とても煌びやかで華やかに見えます。
古代中国人は「天円地方(てんえんちほう)」という宇宙観を持っており、屋外の天空ばかりではなく、室内の「天」も非常に重要視していました。そこで、空のように高く傘状のドーム型の天井「藻井」が生まれました。しかし、初期の藻井は、単に天窓を支えるためのものでした。
藻井の中には、形が蜘蛛の巣に似ていることから「蜘蛛結網(蜘蛛の巣)」と呼ばれるものもあります。そして藻井の中心部の傘の形や八角形、円形に近い形を成す部分は「頂心明鏡」と呼ばれています。また、藻井の中心部には龍の紋様が描かれている事が多いため、「龍井(りゅうせい)」と呼ばれる事もあります。
藻井には、火災などに見舞われず家宅の永久の平安を願う、人々の願望が込められています。『尚書』の解釈を試みた『尚書大伝(しょうしょたいでん)』には、漢王朝期の中国のさまざまな習俗について述べた書物『風俗通義(ふうぞくつうぎ)』の記載を引用し、「殿に天井を作り、東井を象(かたど)ろうとする。(装飾物としての)菱(ひし)や茄(はす=蓮)は、水の中の物。これらを以て火を厭(おさ)える②」との記録があります。
「東井」とは、二十八宿③の中の「井宿(せいしゅく)」であり、南方朱雀七宿の第1宿で、古代中国では「水を司る星宿」だと考えられていました。建築物内部にある天井の一番高い所で井戸を作り、その周りに蓮、菱、藻類などの水生植物の装飾をしたのは、「火の魔物を鎮め、人や建物を守るため」と考えられています。
藻井は、火災から身を守るという象徴的な意味に加え「地位と身分の象徴」でもありました。実際、2000年以上前の漢王朝の墓室の天井には、すでに藻井が装飾されていました。その後も藻井は、王室や宗教施設で多く用いられ、ほとんどの皇帝の玉座の天井や神像の座の上に造られています。
時代の流れとともに、様々な形の藻井が生まれました。特に明清王朝期に至っては、一種の芸術として発展のピークに達しました。明王朝期、その構造と形式が極めて大きな発展を遂げ、より精緻でより華麗な藻井が創られました。清王朝期には、紫禁城の藻井に生き生きとした蟠龍(ばんりゅう)の彫刻が施されました。これは、最高の階級(皇帝)を示す装飾で「蟠龍藻井」と呼ばれました。藻井が「龍井」と呼ばれたのもこのためでした。
藻井の構造や装飾は大変複雑で、決して簡単なものではありません。釘を一切使わず、ほぞ継ぎや斗栱の積み重ねのみで、藻井を造った職人たちの技術は、その時代の中国の木造建築物における最高レベルの技術でした。この技術によって、豊かな中国伝統文化、高貴なる皇室、そして古代中国人の自然への憧れが、藻井と融合して具現化されました。だからこそ、藻井の美しさが今でも称賛されており、さらに後世にも記憶され続けることでしょう。
注:①斗栱(ときょう)とは、日本の神社や仏閣の軒下でも見られる、複数の木材を組み合わせ建築物の梁や桁 (けた) にかかってくる上部の荷重を集中して柱に伝える役目をもつ部材の総称。組物ともいう。
②中国語原文:殿作天井,以象東井。菱茄,水中之物,所以示厭火。(『尚書大傳・卷四』より)
③二十八宿とは、天球を28のエリア(星宿)に不均等分割したもの。
(翻訳編集・常夏)