「桃源郷」といえば、皆さんご存知、陶淵明の詩『桃花源記(とうかげんのき)』から由来しています。この詩は、ある漁師が偶然にも戦争や抑圧のない自給自足する素晴らしい社会に迷い込んだという不思議な体験を描いたものです。平和で調和のとれた、気楽な生活への人々の憧れが反映されています。
「桃源郷」がどこにあるのか。「桃源郷」は本当に存在するのか。さまざまな見解があるようですが、本当に憧れる「桃源郷」が、なぜ自分から遠ざかっていくのか、考えたことはありませんか?私たちの心の中にある「桃源郷」への憧れを打ち砕いてしまったのは何なのでしょうか?私たちは、いつになったら本当に理想の生活を手に入れることができるのでしょうか?
中国の戦国時代に起きた「商鞅の変法」において、「南門立木」の故事がよく知られています。商鞅が「変法」を口実にしながら、民衆の善良を利用し、強権と暴力を使ってまで、神から授かった民衆の生存のための権力と資源を略奪しようとしたという話です。
商鞅の変法は初期、閣僚の反対で2年間棚上げにされました。もう一度執行しようとする前に、商鞅はまず、南門に丸太を予め立てておきました。丸太を北門まで運んでくれた者には五十両の報酬を与えるという、意味のないことで民衆を誘惑しました。
まるで、「お金」という「外的なもの」を使って、他人の手足や身体能力を自分の目的のために利用しているような感じです。これは生命の営みの自然法則に反していますが、人はお金で奴隷になり、権力者の意のままに操られるようになるのです。
この現象について、予言者である劉伯温(りゅう・はくおん)は次の寓話を書きました。
楚国の狙公は、老いた猿に毎朝、他の猿たちを連れて、果物を採りに行くよう命じました。狙公は、猿が摘んだ果物の一部を自分のものとして徴収し、徴収に応じない猿は鞭打ちの刑に処されることをルールとしました。猿たちは非常に苦しみ、大いなる不満を抱えていますが、狙公を恐れて逆らうことはありませんでした。
ある日突然、一匹の無邪気な若い猿が、「山に果物の木を植えたのは狙公なのか?」と猿たちに聞きました。
「いや、自然に生えたものだ」と、猿たちは答えました。
すると、若い猿は「もし狙公がいなかったら、誰も果実を採ることはできないのか?」と聞きました。
猿たちは「いや、みんな採り方を知っているし、採ることはできる」と答えました。
そこで若い猿は、「それならなぜ、狙公の言いなりにならなければならないのだろう?」と聞きましたが、その言葉が言い終わらないうちに、猿たちは皆、目を覚ましました。
その夜、猿たちは柵と檻を壊し、狙公が蓄えていた果物をすべて持ち去り、森へ帰っていきました。結局、狙公は飢えで死んでしまいました。
人の心は、清らかさが失われ、私欲に汚されてしまうと、他人を計ろうとしてしまい、詐欺や争いが起こります。そうなると、世界は自然の法則から逸脱することになり、本来の調和と均衡が崩れます。人々は傷つけあいながら、あらゆる苦痛と災いをもたらしてしまいます。こうなると、本当に平和で調和のとれた社会を望み、人々が「幸福と満足」を享受することはどうしても実現できないのではないでしょうか。
一方、中国の伝統文化の本当の内在的意味は、「道は万物を生み、徳は万物を育てる」ということです。人が天を敬い、天命を知り、徳を積み、調和のとれた状態に戻り、生来の自然で純粋な性質の「道」に戻って初めて、私たちの心に本当の桃源郷を取り戻すことができるのです。
(文・心蓮/翻訳・清水小桐)