近年、洪水の頻発により、中国本土の至るところが混乱しています。そんな時、多くの中国人は、四川省成都平原西部の「都江堰(とこうえん)」を思い起こさずにはいられません。
現在の四川省都江堰市に位置する都江堰は、今から2,200年以前の戦国時代まで遡ります。紀元前256年から紀元前251年にかけて、秦の蜀郡郡守である李冰(リ・ヒョウ)とその息子李二郎(リ・ジロウ)が築いた大規模な水利・灌漑施設です。2,000年以上もの間、洪水の災を避け、成都平原の広大で肥沃な土地を養い、「天府の国」と謳われた平和で豊かな大穀倉地帯を守ってきました。都江堰は、ダムを造らず、堰(せき)で水を迂回させることにより分水・放水・排砂を行うシステムが特徴です。そして世界で最も古く、唯一現在も機能している壮観な水利施設として、2000年には青城山とともにユネスコの世界遺産に登録され、2019年には国際かんがい排水委員会(ICID)のかんがい施設遺産登録もされました。
「天人合一(てんじんごういつ)」の設計理念
成都平原北部の岷山(みんざん)山脈を源とする岷江(びんこう)は、両岸を高い山に挟まれた水の流れが速い渓谷です。成都平原の灌県付近まで下ると、水流が急に遅くなり、土砂や岩石が大量に堆積し、河川を塞いでしまいます。毎年、雨季になると、岷江とその支流一帯は水が急増し、しばしば洪水が発生し、一帯が「水の国」に変わっていました。
水害に悩む人々を救うために築き上げられた都江堰は、小石が詰められた竹かごを川に沿って積み上げた低い堤防で、洪水をせき止めるためのダムではありません。あくまで川の流れを誘導するための堰です。夏になり、増水すると、岷江本流に流れる水量と「飛沙堰」から流れ出る水量を増やし、遠心力によって支流の灌江に溜まった土砂を本流に排出すると共に「宝瓶口」に流れ込む農業用水の量を調節します。
都江堰は、自然から切り離された水利構造物ではなく、「天人合一」の設計理念により自然の一部として自然界が既に持っている機能を改善し再調整できるよう設計されました。
シンプルな構造設計
都江堰は「大道は至簡至易(しかんしい)」ということをよく体現しています。極めてシンプルなその構造は、「魚嘴(魚の口)」「宝瓶口」「飛沙堰」の3つの部分から構成されています。
岷江の真ん中に造られた長く浅い堤防(中洲)が、岷江の流れを東西の二つに分け、水の勢いを二分します。そして西側の外川を岷江本流とし、東側の内川を「灌江」と呼び農業用水として活用しています。中洲の堤防の上流側の先端部分は、魚の頭の形に似ていることから「魚嘴」と呼ばれています。「魚嘴」は、その独特の形により自動的に水量を分割します。通常の水量時には本流に4割、灌江に6割の、増水時には本流に6割、灌江に4割の水が流れるように分けるのです。灌江に分流された水は、約1キロメートル先まで流れて「宝瓶口」に到達します。
「宝瓶口」は玉塁山(ぎょくるいざん)の断崖を人工的に切り出した頂上部の幅28.9メートル、底部の幅14.3メートルの導水路です。水は「宝瓶口」により分水され、すぐに東に向かい四川省西部の広大な成都平原を灌漑します。
そして、「宝瓶口」に流れ込む水量をさらにコントロールするために、分水堤「魚嘴」のある中洲の灌江側の下流部に、洪水を分けるための「平水槽」と「飛沙堰」と呼ばれる放水路を建設しました。灌江の水位が高くなりすぎると、「宝瓶口」に入らない余分な水が「平水槽」を通り、堆積した土砂と共に「飛沙堰」を乗り越え、本流に戻され、灌漑地域が守られます。
都江堰から得た啓示
都江堰はとても長命な水利・灌漑施設です。ほぼ同時期に建設された古代エジプトやキューバの水利施設は、いずれも時の流れと共に消滅、あるいは失効してしまいました。しかし、都江堰だけは2,200年以上を経て、今もなお生き残り、「天府の国」の肥沃な田畑を守っているのです。
古代の人々は、河川が知恵のある生き物だと考え、水利施設を、自然に逆らい制御する道具として設計せず、自然の法則に従い、自然の一部となるよう設計しました。だからこそ、都江堰はこんなにも長く存続できたのです。
数千年の波乱を乗り越え、都江堰は今日も依然として健在しています。これは、先人たちが私たちに残してくれた貴重な物質的で精神的な宝です。まさに古代中国の「天人合一」という思想の具現と証明でもあり「自然(天)と人が共存する事の大切さ」を示しているのではないでしょうか。
(文・暁嵐/翻訳・清水小桐)