屠蘇(とそ)は一年の邪気を祓い、長寿を願って正月に飲む特別なお酒です。地域によっては日本酒を屠蘇代わりに用いる場合もありますが、その中身は通常の日本酒とは異なります。
具体的には、屠蘇散(とそさん)と呼ばれる5~10種類の生薬を配合したものを酒に漬けた薬草酒であり、中国の後漢の時代の名医華佗(?〜208)によって発明され、平安時代初期の嵯峨天皇の時代に日本に伝来したとされています。
「屠蘇」の「屠」は屠(ほふ)る、「蘇」は悪鬼のことを言い、それらは即ち「悪霊を屠る」という意味だそうです。
一、古代中国における屠蘇酒を飲む風習
古代中国では、新年を迎える際、家族揃って年越しの食事をし、爆竹を鳴らす他、疫病を防ぐための「屠蘇酒」を飲む習慣がありました。民間の年中行事記として現存最古の書籍『荆楚歳時記』(注1)には、そのような内容が記されています。
『本草綱目』(注2)では、屠蘇散の処方は赤朮、桂心、防風、菝葜、大黄、烏頭、赤小豆となっています。これらの生薬を袋に入れて、大晦日にお酒に浸し、元旦に飲むのが習慣だったそうです。漢方の医学文献『小品方』(注3)は、その飲み方として「家族揃って、東に向かって、年少者から年長者の順番で飲む」と書いており、そして、「生薬の滓(かす)を井戸に戻し、この井戸水を飲むと、一年病気知らず」とも記しています。
中国の伝統的な習慣では、酒は必ず年長者から順番に飲むものとされていますが、屠蘇酒の場合はその逆で、若者から先に飲みます。年長者が最後に飲むのは、年長者が健康で若返りを願う意味が込められているからだそうです。
残念ながら、お正月に屠蘇酒を飲む習慣は、現代中国ではもう見られません。
二、日本に伝来、伝承されるお屠蘇
平安時代に屠蘇が日本に伝来してから、お正月に屠蘇を飲む風習は現在まで伝承されています。毎年年末になると、一部の薬局やドラッグストアでティーバッグタイプの屠蘇散が販売され始めます。
屠蘇散のパッケージに、屠蘇の由来や生薬の配合、使用方法等が印刷されています。
以下にその一部を抜粋します。
屠蘇の起因
「屠蘇は昔、嵯峨天皇の御代弘仁年間に唐の博士、蘇明という人が、和唐使として来朝の砌(みぎ)り、絹の袋に入れた屠蘇白散と称する霊薬を献上しました。天皇は元旦より三が日、清涼殿の東廂の出御されて四方拝の御儀式の後、御酒に御屠蘇を浸して用いられたのが始まりです。その後、国民も之れに倣って正月三が日の儀式として屠蘇を用いる様になり、その年の邪疫症魔を除き、幸福の年を迎えるとして、お正月には家毎に、必ず屠蘇酒を戴き一家揃って新年のお祝いを致します」(倭古事 日本記より)
そして、屠蘇散の配合も少し改良され、山椒、白朮、防風、桔梗、桂皮の5種類の生薬の組み合わせが最も多いそうです。
また、日本では屠蘇酒を飲む際、通常、屠蘇器と呼ばれる酒器揃えによって供され、小、中、大の三種の盃を用いて飲むのが一般的です。そして「一人これを呑めば一家疾無く、一家これを呑めば一里病無し」とも言われ、同じく、元旦の朝、年少の者から年長の者の順に飲むようになっています。
最後に
中国では、殆どの人が小学校の教科書で、北宋の政治家、詩人王安石(1021年~1086年)の七言詩『元日』「爆竹声中一岁除 春风送暖入屠苏」、(和訳)「爆竹の音を聞きながらまた一年過ごし 暖かい春風に迎えて屠蘇をいただく」を習ったことがあると思います。しかし、「屠蘇酒」はどんな薬用酒なのかを知っている人は少なく、飲んだことのある人はさらに少ないでしょう。というのも、中国では正月に屠蘇酒を飲む風習は伝承されていないからです。今でも、お正月になると屠蘇酒と共に新春を迎える風習を継承している日本を羨ましく思い、日本に見習うべきところが多いように思いました。
注1:『荆楚歳時記』は、長江中流域の湖南・湖北地方の年中行事とその由来を記した民俗資料の古典。6世紀の梁の人宗懍の著に、隋の杜公瞻(とこうせん)が注を付けたもの。
注2:『本草綱目』(ほんぞうこうもく)は、中国の本草学史上において、分量がもっとも多く、内容がもっとも充実した薬学著作である。作者は明王朝の李時珍(1518年 – 1593年)で、1578年に完成されたもの。
注3:『小品方』は陳延之(ちんえんし)によって南北朝の時代にあたる450~470年頃に書かれた医学書です。小品方は後の唐の時代において国定の医学教科書に採用されており、当時では傷寒論と比肩する文献とされていました。
(文・一心)