餃子は、中国を起源とする、練った小麦粉等で作った皮で具材を包んだ料理で、主に半月状や元宝①の形をしています。中国や東アジアでよく見られ、今では、日本でも大変親しまれています。餃子は、中国の旧正月や冬至などの節句に欠かせない食べ物で、中国北部では、主食の一つとして年間を通じて食べられています。
一般的な餃子は、ひき肉とみじん切りした野菜などを合わせた具材を、小麦粉を水で練った生地を薄く伸ばして一口大に包み密封します。成形された餃子は、もちもちで滑らかな水餃子や、透き通った皮の中にたっぷりの肉汁を含んだ蒸し餃子、アツアツで香ばしい焼き餃子など、様々な美味に変わります。
餃子を味わう時、その由来と意味を知っていれば、中国の伝統文化の奥深さを感じ、口にした餃子がより一層風味豊かで美味しく思えることでしょう。
餃子にまつわる伝説
後漢の末期(紀元184年頃)。医聖の張仲景(ちょう・ちゅうけい)は、官を退いて故郷の荊州(けいしゅう)に戻りました。途中、白河のほとりを通りかかった時、張仲景は、多くの貧しい人々が飢えに苦しみ、体が凍て付いて凍傷で耳が破れている様子を目にして心を痛めました。
そこで張仲景は、弟子たちに南陽東門の近くの空き地に医療小屋と釜を設置させました。そして貧しい人たちに薬を与えるほか、寒気を取り除く薬草と羊の肉を一緒に煮込みスープを作り始めました。その中から具材を取り出し細かく切り、「耳を大事にしよう」という意味を込めて、小麦粉の生地で具材を耳の形に包み「嬌耳(きょうじ)」を作りました。それをスープに戻し入れて「祛寒嬌耳湯(きょかんきょうじのとう)」と言う名前の薬膳スープを作り貧しい人たちに与えました。
人々がこれを食べると、身体が芯から温まり、血流が良くなり、耳の凍傷もあっという間に治ったそうです。
冬至の日から大晦日まで、張仲景はこの医療小屋でお薬と「祛寒嬌耳湯」を配り続けました。新年の元旦、人々は「嬌耳」の形を倣して正月の料理を作り食べ始めました。
のちに「嬌耳」の名前から転じて「餃耳(ぎょうじ)」、「餃子(ぎょうざ)」と呼ばれるようになったと伝えられています。
餃子を食べる意味
「張仲景が餃子を発明した」という伝説は実証されていませんが、「寒気を取り除く」「傷を癒す」「新年に食べる」という伝説に基づき、餃子は特別視されるようになりました。中国では、餃子が旧正月や冬至などの節句の定番の食べ物となり、多くの願いが込められ、心の底の温かい記憶を支えています。
「餃子」は「団らんと福禄を招く年越しの交子」という願いを込め「交子」②とも呼ばれています。元旦に食べる餃子は、とてもめでたい縁起物とされ「去る年に別れを告げ、良い新年を迎えられますように」との、人々の幸せを願う特別な方法となりました。さらに、元宝の形に包まれた餃子もあり「餃子を食べて金運を掴む」という願いが込められています。一家団らんで餃子を食べながら、穏やかで幸せな新年の始まりを迎えるのは、中国の旧正月ならではの原風景とも言えます。
餃子で家族の絆を深める
中国の北方では、お正月や節句のたびごとに、親戚や友人が集まり、餃子を作って食べる習慣があります。特にお正月は、新年の挨拶を終えて、食卓に集まり、餃子を作りながらおしゃべりしたり、笑い合ったりします。このように和気藹々とした新年を、家族と一緒に楽しむ大切な時間となるのです。
餃子の楽しみは、食べることだけではありません。みんなで餃子を作る過程も、餃子の楽しみの一つです。家族みんなで食卓を囲み、おしゃべりしながら餃子を作ることで、おのずと家族の絆が深まります。
また、ちょっとだけ変わった餃子を作ることもあります。餃子の見た目を一緒にして、金運占いとして一緒に硬貨を包むとか、ちょっとしたイタズラで多めのワサビを一緒に包むことだってできます。食べる前に「特別な餃子が含まれている」と家族に説明して、思い思いの楽しみ方が生まれくるのです。
お店からテイクアウトしてきた餃子や冷凍餃子でさえ、特別なスパイスを使い、我が家だけのサプライズを演出することができます。食べ慣れた味に、ふと思い立ったアイデアをプラスして、家族みんなで楽しむことで、目に見えない家族同士の絆が深まります。
中国の北部には、「餃子に勝る美味は無し」という諺があります。今日がどんな節目や祝日であっても、もしくは何事もない普通の日であっても、家族みんなで、美味しくて縁起の良い餃子を作って食べてみてはいかがでしょうか?
註:
①「元宝」とは、昔の中国の貨幣の名前
②「交子」とは、大晦日から新年に変わる時刻
(翻訳・宴楽)