古代の人々は今と異なり、素行や徳を重んじ、師を敬っていた。(絵:志清/看中国)
子貢は師の擁護者
春秋時代、孔子の弟子である子貢(しこう)は、勤勉で自律、師の孔子を敬い、儒学を広めることや擁護することに没頭した。師の志を我が志とし、道徳仁政の思想を広めると同時に、師の名誉をも守った。
陈子禽という人が子貢に問いた、「孔子の学問はどこからでしょうか。各国を周遊し、政治事情がわかっているのは、他人に教えてもらったのか、他人が教えてくれたのか。」
「文王、武王の仁政は世間に広まっており、賢人はその中身を知ることができ、その他の人はうわべのことしか知ることができない。先生はどこからでも学べるのだ。温和、善良、謙虚、素朴などの美徳からいろんなことを知ることができる」と子貢は言った。
斉の景公が孔子の才能について尋ねたとき、子貢はすぐに「先生は聖人であり、才能どころではない」と答えた。魯の大夫(身分呼称=貴族)である叔孫武叔が孔子を貶したとき、子貢は容赦なく言い返した。「それは何の意味もない。先生は貶されられない。他人の徳は丘のようで、越されることはあるが、先生の徳は太陽や月のようで、超えられないものである。だれかが太陽や月と比べたがれば、太陽や月には何の影響もなく、彼自信の身の程知らずが露呈しただけだ。」
子貢は孔子を深く尊敬しており、その学説をよく理解し、真理を求め、道徳を守ることを正義だと信じ込んでいる。
(つづく)
(翻訳・北条)