古代の人々は今と異なり、素行や徳を重んじ、師を敬っていた。(絵:志清/看中国)

 師を敬うことは中華民族の伝統的な美徳である。なぜなら、師は徳や、道理、学業、技能及び世渡りの規範を教え、一生受益させるからである。古代には、「一日師になり、終身父となる」という言い伝えがある。古代の人は素行や徳を重んじ、師を敬い、いくつもの逸話が伝えられた。

周の文王武王、姜子牙を師とする

 殷商(紀元前17世紀頃ー紀元前1046年)の末期、西部諸国の中に最も歴史が長い周の文王は徳で民を治め、仁政を行った。国を治めるには徳がある人を任用しなければならない。文王はそのような人材が欲しくてたまらなかった。姜子牙という人が品格と学識がともに優れ、今の世の中の賢人であると聞き、物忌みし、お風呂に入り、香を炊き、極めて誠意を持って、家来を連れて磻溪というところに会いに行った。話を通して、姜子牙は志が高く、才気溢れていることがわかってから、文王は「祖父はかつて『将来にはある聖人が周を盛んにしてくださるのだ』と言った、あなたがまさに祖父の言った聖人に違いないのだ」と言って、姜子牙を同じ馬車に乗せて帰った。

 文王は姜子牙を丞相(じょうしょう)とし、国を治める方策を彼に習った。それから西周は強くなっていった。文王はいまわの際に、息子の武王を姜子牙に託し、「父のように敬い、朝晩お教えを伺い、座らせて拝んでよし」と言い残した。武王はその通り、姜子牙を父のように敬い、「師尚父」と称した。姜子牙は期待に応え、精力を尽くして武王を補佐し、天下を統一することに至った。

周の武王(?-紀元前1043年)(パブリック・ドメイン)

(つづく)

(翻訳・北条)