恒山・懸空寺(イメージ / Pixabay CC0 1.0)

 ある数十トンもの建築物が、僅かに数本の丈夫そうでない立柱に支えられ、二十階ほどの高さの絶壁に貼り付いて、千五百年に及ぶ年月をあり続ける光景を想像できるのだろうか。幾度無く地震に見舞われるも破損の見受けないこの奇妙な古代建築物は、山西省恒山に位置する古いお寺―中国の南北朝時代の北魏(ほくぎ)の「懸空寺」である。

懸空寺の全景( パブリック・ドメイン)

 この幻想的な木造のお寺は、空中にはみ出た状態のまま、直径僅か十センチほどの立柱のみでその数十トンもの重量が支えられ、奇観を呈している。

 懸空寺は、二十年前にはマグニチュードM6.1の大地震にも見舞われていた。地元住民から「岩石が転がり落ち、空に濃霧が広がっていた」との証言があり、当時1~2メートルの岩石が七個も落下し、民家が多数倒壊したが、峡谷に位置した懸空寺は、河水の侵蝕により形成された天然凹凸に恵まれ、震動で緩んだ岩石がカーブに沿って滑り落ちるようになる為、一切触られることがないわけだ。

 では、千五百年の長い年月を地盤も持たないまま、何回もの地震の強烈な揺れにどのように乗り越えただろうか。実に、懸空寺は純木造のほぞ継ぎ構造(2つの木材部品を接合する継手の一種である。)により建設され、「弾性構造」とも呼ばれるこの構造は地震のエネルギーを吸収できるという、即ち、地震と共に揺れながら衝撃を吸収し、そのエネルギーを逃がせる天然の振動抑制設計である。例え壁一面が倒壊しても、主要構造は崩壊されることはないのである。

 それにしても、たった僅かな立柱で数十トンの重さの悬空寺を支え切るというところは正直理解に苦しむ。意外なことに、大役を担うかと思われる立柱が、実は後世に付け加えられた装飾品に過ぎないという。懸空寺を堅牢に支えてきたのはお寺の基部に深く差し込まれた27本の横梁であった。山体に差し込む前に相欠きを作り、楔(くさび)(堅い木材や金属で作られたV字形または三角形の道具)を嵌め込むことにより、横梁がピタッと強固に固定でき、一度山体に埋め込まれると抜かすことはできないという、お寺と山が実質一体となり微動だにしないわけだ。

 険峻な山道に身を委ねた懸空寺は、まるで断崖にひっかかるように創建された。見上げると、重層構造の楼閣を支えるかのような十数個の箸ほど細い立柱は、長さも太さも不揃いで不規則の円柱形という天然の形態が保たれている。

 黄土色の岩石の斜面は、今にも崩れ落ちるかのように隆起し、スリルすら味わえるほどだが、古代の職人は険しい山容を逆手に取り、雨風を凌ぐ天然の屋根を確保したのだ。そのほか、向かい側の山頂には灼熱な日差しを遮る役割を担わせ、真夏日でも懸空寺への日照は僅か三時間に留まるということだ。こうして、「平地に高層ビールが聳え立つ」との諺を嘲笑うかのように、懸空寺は職人の智慧と奇抜で大胆な発想から生まれ、今なお断崖絶壁に壮観な風格を漂わせている。

 更に、どうやらこの建築の主要構造を守り抜くのは立柱というより、現地では「鉄の天秤棒」とも呼ばれる木梁のようだ。特産の鉄杉木から方形に加工されたこの木梁は、岩石に深く埋め込まれたうえ、桐油漬けした為、シロアリの被害から守られ、腐り防止機能も持ち備えている。ただし、現代の力学の計算では、埋め込まれる梁の長さは張り出し部分より長いと想定されるのだが、現代の施工機材にもコンクリートにも頼れない古代の職人は、果たしてどのように八十~九十メートルの高所の絶壁に細長い穴を掘り出し、そこに木梁を挿入した後、締め固める作業まで完璧にこなしたのだろうか。様々な推理を働かせるも、未だに釈然とした解明に辿りつくことは難しい。

 懸空寺は、芸術面及び建築技術面から古代建築の精粋と称される存在。地震多発地帯にありながらも良好な保存状態を誇るこの古代のお寺は、依然として謎のベールに包まれている。

懸空寺の雷音殿(Wikimedia Commons / Gisling 14:11, 15 January 2008 (UTC) CC BY 3.0

(文・張均威/翻訳・梁一心)