「香を焚く。茶を点てる。画を掛ける。花を挿す。これら四つのことは、一見暇つぶしに思えるが、かといって素人ができることではない①」と、宋王朝期を生きた人々が、諺(ことわざ)として伝えてきたように、宋代の文人たちは、いわゆる「四芸」を嗜(たしな)んできました。雅集(がしゅう)に集い、香を焚いてくつろぐことは、「四芸」の中の一つの高尚な趣味として、独特な趣きを備えており、宋王朝期には多くの愛好者が参加していました。
「雅集」とは、その名前通り、風雅な人々の集会のことで、古代中国人に愛されていました。一番有名な雅集は、永和九年(紀元353年)、王羲之が浙江の会稽山にある蘭亭に友人たちを招いて催した修禊(しゅうけい)雅集でした。「天下一の行書」として名高い『蘭亭序』もこの雅集で書かれたものなので、この雅集は「蘭亭雅集」とも呼ばれます。
雅集を題材とした芸術作品は、他にもたくさんあります。例えば、李公麟(りこうりん)が『西園雅集図』を描いた「西園雅集」には、当時の著名な文化人・蘇軾や黄庭堅、米芾などが貴賓として出席したとされています。「蘭亭雅集」でも、「西園雅集」でも、文人たちは酒を飲み、詩を題し、香を焚いて茶を点てていました。
春秋時代以前にまで遡る中国の香の歴史。唐王朝期には、調香、燻香、香評が「優雅な芸術」とされ、香の文化が形成されました。宋王朝期において、香の文化は最高潮に達しました。文人と雅士たちは日常的に集まり、香を楽しみながら、読書や読経、絵画鑑賞、佛道の議論などを楽しんでいました。
宋代の文人にとって焚香は、功利的な目的が一切なく、ただ生活を楽しむ生き方の一つでした。詩人の陸游は『焚香賦』で、「天から舞い降りたような花弁の馨(かぐわ)しい香りを放ち、鼻と目を新たな世界へ連れていくようなお香。その儚い煙は、巻いたり伸ばしたり、丸まって曲がりくねったり、広げて大きくなったりしていく。共に琴や書をして、お香は燃え尽きたと思えば、香りは頭巾から袂(たもと)まで立ち込める②」と詠いました。焚香を愛する文人たちにとって、焚香は心身ともに穏やかに落ち着く重要な一環なのです。文豪の蘇軾も、焚香と詩と賦と共に晩年を過ごしていました。
宋代の文人は、香を焚くことのみならず、香を製作することも大好きでした。特に、お香の調合・「合香(あわせごう)」に造詣が深く、多くの文人が様々な分野の合香を研究していました。香料の調合だけでなく、メンタル面の心性(しんせい)と意境(いきょう)とお香の調和にもこだわっていました。詩人の黄庭堅と蘇軾らはその道の大家でした。自分の手で香料を調合することに興味を示し、調香の経験を交流し合う文人は、お香の文化の発展に大きく貢献しました。
宋王朝期には、様々な形のお香がありました。「香柱」「香丸」「香粉」の他、「印香(いんこう)」も流行していました。直火で焚くお香に対し、「香丸」は熱された香炉灰の中に置かれていました。詩人の楊万里は七言詩『焼香』で、「詩人は自ら古龍涎を炷(た)けば、そこは香りがあるだけで煙が見えない③」と詠ったように、煙が見えないお香も人気でした。
お香を語るには、香器を避けられません。中国の戦国時代は、青銅製の器で香を焚いていました。宋王朝期になると、お香の大流行に伴い香器製作も盛んになり、次第に製造技術が発展ました。磁器製造技術の発展が絶好調な宋王朝期に乗じ、香炉を始めとする磁器の香器も、全国各地の磁器窯から多大な生産量を示し、新たな流行を切り開きます。宋代の文人は書斎、寝室そして大広間に、香炉、香箸、香瓶、香盒(香箱)などの香器を置いていました。これらの新奇で精巧なデザインで細密に製造された調度品は、文人たちのインテリアの重要な一部分となりました。青銅製の香炉のように細かく刻み込まれていませんが、それが逆に素朴で簡潔な美しさを成し、美術的価値がかなり高いものばかりでした。
宋王朝期の香炉は磁器ものがメインでした。有名な宋王朝期の官窯(かんよう)からも、多くの香炉が製造されていました。これらの磁器の香炉は、芸術的な価値はもちろん、お香の文化を伝えるものとして、使用者の心をも託されています。焚香という「言わずもがな」の情景で、香器は自ずと、人と人、そして人と自然が気持ちを交わすものとなります。そのため、香炉は外見や装飾ではなく、内面に含まれている精神面の美しさが重要視されるのです。
宋代の文人のお香の文化を振り返ると、それは器から道までの追求と、器物で気持ちを伝える文化でした。香器一つで、宋の人の審美眼に感心しながら、宋王朝期ならではの簡潔で素朴な生活の美学に浸るのも、なかなか面白いことなのです。
宋代の文人はほとんど、「世離れ」を追求していましたが、それは「出世」とは真逆なことではありませんでした。朝廷においては民思いの官員となり、自宅では佛を奉る隠者となる。両者を同時に行うことは、宋王朝期ならではの社会風潮となっていました。「天人合一」の思想の下で、文人でも、平民でも、お香の文化を始めとする美学と修煉への追求は、中国のお香の文化が目指す最高の境地だとも言えるでしょう。
註:
①中国語原文:常諺曰:「燒香點茶,掛畫插花,四般閑事,不許戾家。」(『都城紀勝《四司六局》』より)
②中国語原文:新鼻觀之異境,散天葩之奇芬。既卷舒而縹緲,復聚散而輪囷。傍琴書而變滅,留巾袂之氤氳。(『陸放翁全集劍南詩稿渭南文集・逸稿卷上《焚香賦》』より)
③中国語原文:詩人自炷古龍涎,但令有香不見煙。(『全宋詩・卷二二八二《燒香七言》』より)
(文・戴東尼/翻訳編集・常夏)