一、正倉院に残されている世界唯一の楽器 箜篌
正倉院に残る数々の楽器の中でも、螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)や螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんのげんかん)等がよく知られていますが、正倉院に残されている世界唯一の楽器である箜篌(くご)についてご存じでしょうか。
箜篌はハープや箏に似た撥弦楽器です。奈良時代に中国から朝鮮半島を経由して日本に伝来し、宮廷の雅楽の演奏楽器として使われていたと考えられています。しかし、平安中期以降、箜篌は日本では全く演奏されなくなり、廃絶の運命をたどり、中国においても、明王朝(1368年〜1644年)以後、箜篌はその姿を消し、伝承が途絶えてしまいました。そして、箜篌は失われた古代楽器となりました。
正倉院南倉には螺鈿箜篌と漆箜篌の2張が残されていますが、いずれも欠損部分が多く、音が鳴るような状態ではありません。
二、箜篌の種類について
古代中国では、由来の異なるいくつもの楽器を「箜篌」の名で呼んでいました。
①臥箜篌(ふせくご)
文献上最も古い記載は司馬遷(前145頃〜87頃)の『史記』「封禅書」に見られるもので、唐の杜佑が書いた『通典』には、武帝(前141年〜81年)が人に「箜篌」を作らせたと記載されています。当時の箜篌は琴のように寝かせて弾くものであり、後に、臥箜篌(ふせくご)と呼ばれるようになりました。
②竪箜篌(たてくご)or 胡箜篌(こくご)
漢代に西域からハープに似た楽器が伝わってきました。従来からある箜篌に似ていたため、後に「胡箜篌」或いは「竪箜篌」と呼ばれました。『後漢書』は、霊帝(在位168年〜189年)が好きな西域の物の中に「胡箜篌」を挙げていると記載しています。
正倉院には残された残欠な箜篌2張はいずれも西域から伝来した「竪箜篌」というものです。
③鳳首箜篌(ほうしゅくご)
また、唐代にインドから伝来したハープ型の楽器も箜篌と呼ばれ、天竺楽(注①)で使われていたそうです。先端に鳳首の装飾が付いていたので「鳳首箜篌」(ほうしゅくご)と呼ばれました。
「鳳首箜篌」は日本には伝わっていないそうです。
三、箜篌の演奏に関する記録
現存する箜篌が極めて少ない上、箜篌を演奏するための楽譜や技法、調弦等の記録が残されていないため、箜篌が奏でる音色はどのようなものなのか、分かっていないのが現状です。しかし、箜篌の図像が意外にも多く残されています。例えば中国の敦煌の多くの壁画や日本の平等院雲中供養菩薩像、その他箜篌を奏でる絵画等があります。
唐代の有名な詩人李賀(り が、791年〜 817年)が『李憑箜篌引』(注③)と言う詩の中で、箜篌の名人李憑が23弦の竪箜篌を引く音色を見事に表現しています。
当該詩の中に、「崑山玉碎鳳凰叫,芙蓉泣露香蘭笑」という一句があり、それは、名人の箜篌の音色に「崑崙山の玉が砕け、鳳凰は鳴き叫び、芙蓉の花は泣き、蘭の花は微笑むように咲き開く」という意味を表しています。そして箜篌の演奏は、石が破れて、天が驚くほどに素晴らしいという描写から、音楽や詩文などが、人を驚かすほど奇抜で巧みなことを形容する「石破天驚」(せきはてんきょう)と言う四字熟語も生まれました。
現代に生きる我々は、古代の箜篌の音色を耳にすることは不可能ですが、残された詩や絵の表現から、箜篌の音色の魅力を想像して感じることはできます。
近年、研究が進み、箜篌が楽器として復元され、演奏が可能になりました。ただし、箜篌の伝承曲は現存していないため、箜篌という古代楽器の音色をどこまで蘇らせ、その謎がどこまで解けたのかは興味深いところです。
「風の羽衣」(斎藤 葉、作曲・箜篌演奏)のYouTube動画:
https://youtu.be/M0_YFzgU3QY
注①:雅楽の中のインド起源のもの。
注②:李 賀(り が、791年〜 817年)中国唐代中期の詩人、字は長吉。その詩は伝統にとらわれずはなはだ幻想的で、鬼才と評された。
注③:「李憑の箜篌の引(うた)」、811年~813年に成立。李憑についての史料が少なく、唐の玄宗に仕えた竪琴の名人としか伝わっていない。李賀の他にも彼の箜篌の演奏を詠んだ詩がある。
(文・一心)