「君子の交わりは淡きこと水の如し」という言葉は、立派な人物の交際は淡々として水のようですが、その友情はいつまでも長く続くと言う意味を表します。しかし、このような最高な友情はどのようにすれば築くことができるのでしょうか。
それでは、この言葉の出典である『荘子』の「外篇」「山木篇」に書かれている話を見てみましょう。
孔子が魯国に追放され、非常に困窮していた際に、賢者の子桑雽という人に出逢いました。孔子は自分が苦難にあって以来、親しかった人たちが離れていってしまったことを伝え、それは何故だろうかと尋ねると、賢者は、「林回が璧をうち棄てる」という話をしてくれました。
林回という人は災難に遭った時、千金の価値の玉壁をうち棄て、生まれたばかりの赤ちゃんをおぶって国から逃げ出しました。「千金に値する璧を持って逃げれば、一生衣食住に困らないのに、赤ちゃんは負担になるばかりではないか」と言う人がいました。すると、林回は「私にとって、璧は利害関係の産物に過ぎず、赤ちゃんは血縁で結ばれた賜です。利害関係によって結ばれたものは災難に遭遇した時、互いに見捨てるようなもので、天によって結ばれた関係は、窮地になる時こそ更に強く結びつくものです」と答えました。
賢者は更に「且君子之交淡若水、小人之交甘若醴、君子淡以親、小人甘以绝。彼无故以合者、則无故以離」と言いました。それは即ち、「君子の交際はまるで水のようにさらりとして、小人の交わりはまるで甘酒のようにどろりとしたものです。君子は淡泊して以て親しみが深まり、小人は甘くして以て関係が壊れます。理由もなく和合した関係は、理由もなく離散してしまう」という意味です。
孔子はこの話を聞き、その真意を汲み取りました。
「君子の交わりは淡きこと水の如し」については、次の物語もあります。
唐代名将の薛仁貴(せつ じんき 614〜683)は、家が貧しく、耕作を生業としていました。薛仁貴夫婦は生活に困窮しており、近所の王茂生夫婦からよく援助をしてもらっていました。
その後、薛仁貴は軍隊に入り、長年唐の太宗に従い、戦功を挙げ、「平遼王」に封ぜられました。故郷に錦を飾った薛仁貴の元に、大勢の人が祝いに訪れ、数々の贈り物が届けられました。薛仁貴はそれら全てを丁寧に断り、近所の王茂生から贈られた2樽の酒だけを受け取りました。
部下が封を開けてみると、樽に入っているのは酒ではなく、水でした。 そこで、薛仁貴は大きなお椀を持ってきて、皆の前でその水を一気に3杯も呑みました。そして、周りの人達に「昔、僕が貧乏だった頃、王さん夫婦は助けてくださいました。本日、僕は手厚い贈り物を一切受け取りませんが、王さんの水だけは受け取ります。彼のこの大切な気持ちは正しく君子の交わりは淡きこと水の如しそのものです」と言いました。
「君子の交わりは淡きこと水の如し」の二つの物語は、立派な人の交わりは道徳や義理等に基づいており、清らかな水のように純粋で、利害関係や過剰な情が混ざっていない、ということを教えてくれます。このような純粋な人間関係こそ、我々が求めるべき至高の友情ではないでしょうか。
(文・一心)