『天工開物』でのパドル法による錬鉄製造(パブリック・ドメイン)

 一、『天工開物』の誕生

 『天工開物』(てんこうかいぶつ)は、明末(17世紀)に宋応星(そう おうせい)によって書かれた、中国の古代産業技術を総合的に紹介する書物です。

 本書は、 上、中、下の3巻18部門からなっており、上巻は穀類・衣服・染色・調製・製塩・製糖について、中巻は製陶・鋳造・舟車・鍛造・焙焼・製油・製紙について、下巻は製練・兵器・ 朱墨・醸造・珠玉について、123枚の挿絵を用いながら、中国の明までの伝統技術を全盤にわたって解説しています。

 『天工開物』に記載された生産技術の多くは現代に至るまで使われており、『天工開物』は中国の技術百科全書とも呼ばれ、多くの言語に翻訳されており、世界でも高く評価されています。

 書名の由来について、三浦豊彦(注①)は「天工」とは自然の営み、「開物」とは人工的な巧みを意味し、人工だけでは技術にはならず、自然の営みである天工と相まって、人工が完成する、と言う意味から、「天工」と「開物」と結びつけて『天工開物』となったと解釈しています。

 著者の宋応星(1587〜1661年)は、江西省奉新県の名家の出身で、字は長庚(ちょうこう)と言います。官僚や地方官などを歴任した彼は、明時代の官僚らは五穀の作り方、蚕の育て方、生地の織り方等について理解していないにもかかわらず、潤沢な生活をし、農民を軽蔑していることに憤りを覚えました。そのため、彼は日頃の農業や手工業に関する研究を本にまとめ、崇禎10年(1637)に『天工開物』を出版したとされています。

 『天工開物』の序文において、目次の順序は「五穀を尊び金玉を卑しむ」を意味する一文があり、また第1巻の「穀類」の冒頭で、「上古に神農氏(注②)がいたかどうかは、はっきりしないが、神農と言う二文字の称号を見て、農業を神聖なものとすることは現在にも生きている。……朝夕の食事に五穀を味わいながらも、その由来を忘れる人々は多い。農業を第一とし、それに神を結びつけるのは、五穀が人力のものではないからである」(注③)、と作者は自らの価値観を述べています。

 ニ、『天工開物』は日本から逆輸入される

 残念ながら、当時の中国では、『天工開物』はあまり評価されず、引用する書物も少なかったようです。その理由としては、明から清へ王朝がかわり、清王朝は政治の障害となる書物を徹底的に禁じていたため、『天工開物』は四庫全書(しこぜんしょ)(注④)には収められず、中国で散逸してしまったという説が挙げられています。

 一方日本では、『天工開物』は貝原益軒の「大和草本」等の著書に引用され、学者に影響を与えただけでなく、江戸時代の実際の技術として広く応用されました。そして明和8年(1771)には大阪の書林菅生堂が和刻本を出版しました。

 1926年、日本で地質学を学んでいた中国人留学生章鴻釗が、『天工開物』の和刻本の菅生堂本を発見し、翌年、それを中国に持ち帰りました。その後、『天工開物』は中国で再認識され、評価されるようになったため、1929年、和刻本を底本とした複製本の『天工開物』(武進陶氏渉園)が中国で刊行されました。

 三、伝統技術(竹紙)を現代に蘇らせる作家 水上勉氏

 ここでは、直木賞作家の水上勉氏が『天工開物』の伝統技術「竹紙」を再現した実践を特筆したいと思います。

《天工開物》製紙工程(パブリック・ドメイン)

 水上勉氏は、著書の『竹紙を漉く』(注⑤)において、自らが竹製の文楽人形を操る舞台芸術に足を踏み入れ、中国唐代に発祥し、宋代に隆盛を極めた「竹紙」に興味を持つようになった経緯、そして、宋応星の『天工開物』をマニュアルに、本の挿絵通りに工房を立て、試行錯誤をしながら、竹紙の伝統技を現代に蘇らせたことを記録しました。ご興味のある方は是非読んでみてください。

 『天工開物』が伝える伝統技術は、自然との調和、自然への畏敬という観点からも、実生活のための産業を重視するという観点からも、デジタル技術が溢れかえる現代社会では、より重要な意味を持っているように思います。 

 注①  宋応星の『天工開物』(1637年刊)と労働衛生(労働科学研究所)
 注②  神農(しんのう)は、古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人。人々に医療と農耕の術を教えたという
 注③  宋応星/薮内清訳『天工開物』東洋文庫 平凡社
 注④  清朝の乾隆帝の勅命により編纂された、中国最大の漢籍叢書である。全般著書は経・史・子・集4部に 44類、3503種、36000冊、230万ページ、10億字になっている。広範な資料を網羅しており、資料の保存に多大な貢献をした反面、清朝の国家統治にとって障害となるような書物は、禁書扱いされ、収録されなかった図書は3,000点にのぼるという。
 注⑤『竹紙を漉く』水上勉 文春新書

(文・一心)