上海の閉鎖が解除された後、多くの人々が上海から逃げ出した。
最近、上海虹橋駅前である90後(1990年代生まれ)が、上海から脱出するときの恐怖の24時間を記録した。
上海はこのほど、段階的な閉鎖解除を発表した後、虹橋駅では上海から逃げ出す人でごった返している。
中国メディアの統計によると、虹橋駅の立ち往生者数は1日あたり約2000人で、駅の外の芝生には帰省を待つ人でいっぱいなだけでなく、近くの橋までが生活の場になっているという。
香港のオンライン・ニュースポータル「香港01」7日の報道によると、先月22日に上海から故郷の浙江省嘉興市に帰る準備をしていた90歳(女性)「ガガ」さんは、上海を脱出する大軍の1員になった。
ガガさんによると、上海を離れる最初のステップは、出発前に住民委員会で、コロナの流行が終息するまで二度と団地に戻らないという誓約書にサインすることだったという。しかしこれは出発前の最初の関門に過ぎなかった。上海駅ではさらに複数の要件を満たさなければならないのだ。駅に入るのに、「当日の切符」、「48時間のPCR検査陰性証明」、「24時間の迅速検査(抗原検査)陰性証明」、「緑色の健康コード」を揃えることだ。持っていない場合は、駅の外で待つしかない。
ガガさんは駅に着くと、PCR検査の結果が48時間を超えたものなので、抗原が陰性でもPCR検査を追加で受ける必要があると言われた。PCR検査を受けるため、電車に乗り遅れて発車してしまったのだ。
当駅の規則では、ガガさんは待合室に滞在することができない。彼女はまず高架橋の上で1時間近く歩いた。虹橋付近の高架橋の下にはいろんな人が集まっている。切符が買えず運試しをする人、ホームレスやガガさんと同じように団地を離れて誓約書にサインしたが電車に乗れなかった人などが、橋の下を一時的な避難所としている。
ガガさんによると、自分もホームレスになり、虹橋駅の地下駐車場の仮設シェルターで一夜を明かすところだったという。この時のガガさんは48時間PCR検査の陰性証明書の期限が切れたため、公共の場に行けず、トイレに行くにもどこに行っても困るようになっていた。
幸いにも、4時間半後、ガガさんは新しいPCR検査の結果を知れされ、翌日の電車の切符もその場で購入できた。虹橋駅まで送ってくれたタクシー運転手の朱さんは、彼女の窮状を知ってから、迎えに来てくれて、宿泊も手配してくれたそうだ。
翌日、10時54分の電車に乗るため、ガガさんは途中で何かトラブルがあってもいいように、朝5時に起床した。故郷の嘉興駅に着いたガガさんはやっと家に帰れたとほっとした。
一部のネットユーザーからは、共感できるコメントが残された。
「運が良かったね!これは氷山の一角に過ぎない」
「帰省距離が近い人は、運がよければ、帰宅できるが、家が遠い人はどこか一箇所で問題が生じると、屋外の道路で寝るしかない」
「時には、我々が2022年にまだ生きているだけで幸運だと感じる。しかし、我々は自由を犠牲にして、服従することを学んだ」
「これは、元もと人道的災難だ!橋の下でさまよっている人々の境遇はさらに惨めだ!」
(翻訳・藍彧)