古代中国の指名手配(ネットより)

 古今東西、逃亡中の指名手配被疑者を特定できるよう、民衆に情報提供を要請していました。現代においては、科学技術の進歩により、指名手配犯の顔写真が添えられています。一方、古代ではカメラがなく、指名手配だよりが城壁に貼られても、被疑者を肖像画でしか伝えられず、その肖像画の多くは非常に抽象的な画像でした。このような肖像画で、本当に指名手配犯を捕まえられるのでしょうか。

 1973年10月、中国甘粛省金塔(きんとう)県にある肩水金関遺跡から『甘露二年丞相史書』という漢簡が発掘されました。その内容は、甘露二年(紀元前2年)に前漢の皇帝劉詢が女性被疑者を追い詰める勅令を出したとのことです。しかし、この「指名手配令」は、犯人の肖像画がなく、外見と性格の特徴だけが書かれていた文書でした。また勅令は各級官僚とお役人に、示された情報に基づいて郷里で取り調べるよう命じました。

 漢簡には、被疑者の逮捕は成功したかどうかが記録されていませんでしたが、「指名手配」の制度が確立したことと、時の官吏が住民に協力を促していたことが、その史料より明らかになりました。実際、古代中国では、官庁は住民たちに対して、発令した捜査に協力することを提唱しており、またその報奨も法的に明確に定められていました。

 この報奨制度が初めて登場したのは春秋時代でした。『墨子・号令』には「官民を問わず、尊長者を殺傷した者は謀反と同罪である。また、罪人を捕まえた者は、報奨金として黄金20斤(10キログラム相当)を貰える(註)」と記されています。

 政府が出した律令は、民衆の犯罪しないようにする自制心を強化できるだけでなく、積極的に捜査に協力する主な動機にもなります。このように、古代中国における逃亡被疑者への追跡は、抽象的な肖像画だけでなく、外見の描写と共に特徴や性格の分析に重点を置いていました。そして民間と政府の協力による複数の手段方法が加わり、被疑者を逮捕することができたのです。

古代中国の指名手配(ネットより)

 註:中国語原文:諸吏卒民有謀殺傷其將長者,與謀反同罪,有能捕告,賜黃金二十斤,謹罪。(『墨子・卷十五・號令』より)

(翻訳・松昭文月)