時代劇を観賞していると、武器を持ち皇帝たちを守っている宮廷侍衛を見て、いつも「とてもカッコイイ!」と思います。しかし当時でも、誰もが宮廷の護衛になれた訳では無い事を忘れてはいけません。結局、多くの人の上に立つ皇太后や皇帝たちの護衛は簡単ではないのです。
清王朝では、皇帝の個人的な宮廷侍衛を「御前侍衛」と呼んでいました。つまり、常に皇帝に付き添っている護衛です。しかし、宮廷侍衛になるには、高い武術の能力だけでなく、常に、宮廷内の安全を維持するための高度な警戒が必要とされます。さらに、皇太后や皇帝の機嫌を損ね、殺害などの禍を招かぬよう、宮廷侍衛には遵守すべき暗黙の規則がありました。
2011年、紫禁城出版社は『晩清侍衛追憶録』を出版しました。著者の富察・建功さんは、まさに清王朝後期の宮廷の侍衛でした。彼は自分の視点として、彼の曽祖父や外祖父が清王朝の宮廷侍衛であったときに見聞きしたことを描いています。
富察さんは、『晩清侍衛追憶録』で宮廷侍衛の難しさについて記しました。
第一に、宮廷侍衛として働くには、あらゆる官吏の名前、外観、背景及びその他の個人情報を覚える必要がありました。これにより、すばやく該当する官吏の服装等を確認し、同時に身分と地位を特定しました。
第二に、門番や見張りに立つ事が主な任務である宮廷侍衛は、勝手に見張り場所を離れることが許されませんでした。もし便意などを催しても、無断でトイレに向かえず、宮廷内に侍衛用のトイレなど用意されていないので、我慢できない宮廷侍衛は漏らすしかありませんでした。
第三に、睡眠中の『いびき』も許されませんでした。一部の宮廷侍衛は、睡眠中に思わず『いびき』をかいてしまうのを心配し、いびきをかいた時、むせて気付くように「竹の板」を口に入れて寝ていました。
第四に、勤務中は、『糖丸』と呼ばれるあめ玉をずっと口に入れていました。あめ玉は口の中で香りを放つので、皇太后、皇帝、大臣との会話時、あめ玉で口臭を防いでいました。なかでも西太后は口臭にとても敏感だったそうです。
以上の4つの暗黙の規則からも、宮廷侍衛の仕事の大変さが推察できます。しかし、それでも、当時の人々にとっては、宮廷侍衛は憧れの職業でした。
(翻訳・宴楽)