南京の大報恩寺瑠璃塔(Whisper of the heart, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons)

 みなさんは、赤色の宝塔のイラスト画像を目にしたことがありますか?欧米ドラマや映画、さらにはアニメの中で、中華料理の外装でも印刷されていて、馴染み深くなっています。万里の長城と天安門のほか、あの赤い宝塔も中国の象徴として、欧米人の中でも常識となりつつあるこの宝塔は、一体何でしょうか?

 実は、この宝塔は空想中のものではありません。その原型は、秦淮河のほとりに佇んでいた、南京の大報恩寺瑠璃塔とされています。しかし、1856年に破壊され、人々の記憶から長らく消えてしまいましたので、瑠璃塔の輝きが忘却されていました。今回は、その宝塔に関する話をしたいと思います。

 明の太宗永楽帝の命令文書『重修報恩寺勅(紀元1413年)』の記載によると、永楽帝は自らの両親・実父の洪武帝朱元璋と実母の孝慈高皇后馬氏への記念として、時の天禧寺の再建工程に着手します。紀元1424年春の三月、再建工程の竣工を目前にし、永楽帝は寺を「大報恩寺」と命名し、自ら碑文を作製しました。

 その大報恩寺の大殿の後方の瑠璃塔は、紀元1412年から着工し、紀元1428年に竣工しました。19年間の工程は、時の南京の守備、後の大航海者・鄭和によって監督されました。瑠璃塔は八面の9階建で、高さ78メートルを超え、数千メートル先からでもはっきりと見えます。

大報恩寺瑠璃塔のイラスト(ヨハン・ニューホフ作「東インド会社からの使節」(1665年)より)(パブリック・ドメイン)

 瑠璃塔には三つの「絶」、すなわち、三つの大変優れたところがあります。誇らしい高さの「一絶」のほか、塔全体が瑠璃でできていることで「二絶」、そして佛の灯りが永く明るむことで「三絶」になります。

 瑠璃塔は五色の瑠璃で精巧に建てられ、宝塔の表面が白い磁器に貼られ、拱門も全面瑠璃で作られました。扉の枠は獅子、白象、飛び羊など、佛教ならではの主題の柄の書かれた五色の瑠璃レンガで飾られました。宝塔の頂には、金銀などの宝物が嵌められていました。角梁には152個の風鈴が吊り下げられ、鳴りやまない鈴の音が数千メートル先まで届いたと言われました。

 宝塔の内壁は佛像を納める佛壇がずらりと並び、「宝塔全体に納められている金剛佛像の金身は千百億もある。一尊の金身は十数の瑠璃煉瓦で作られ、その衣も、その面目も、その髭も眉も、寸分の狂いすらない。枘継ぎにも隙間なく合致しており、誠に神業である①」とすら言われました。毎晩、宝塔で数百の献灯が灯され、星空のように宝塔の瑠璃を照らし、煌びやかで眩い光は朝まで輝きました。どれほどに壮観だったのでしょうか!

 ガラスが普及されていない時代、古代中国では、庶民は紙で、富のある家はうす絹で家の窓を糊付けていました。しかし、瑠璃塔の窓は、極限まで薄く研がれたマドガイの殻「明瓦」で嵌め込まれました。これは古代中国の最高級の採光用材料です。夜になると、献灯で輝く瑠璃宝塔は、この「明瓦」を通して幻のような光を放ち、仙人の居城のように辺りを照らしました。町のどこにいても、宝塔の輝きを拝める南京の人々は、神佛への敬意をいつまでも忘れることがありませんでした。

 中国に来た西洋からの宣教師や使節団も、たちまち瑠璃宝塔の壮観さに圧倒されました。瑠璃宝塔は、ローマのコロッセウム、ピサの斜塔、万里の長城などと並列され、「中世の七不思議②」として西洋でも名を馳せ、万里の長城とともに中国の象徴となりました。「中国一の骨董品、永楽時代一の大陶器③」と讃えられ、「天下一の塔」と呼ばれた瑠璃宝塔は、倒壊されるまでは中国で一番高い建物であり、世界建築史の一大奇跡でもありました。

 1856年、太平天国の指導部の内紛により、天京事変が起こりました。北王韋昌輝は、翼王石達開と天京(南京)での戦いで、石が高地である瑠璃宝塔を奪い城内に砲撃することを恐れ、瑠璃宝塔だけでなく大報恩寺も爆破しました。以来、400年余りの歴史を持つ瑠璃宝塔は姿を消しました。

 2015年12月、再建された大報恩寺は一般公開されました。しかし、世界に輝いていた瑠璃宝塔は再び姿を現すことはありません。跡地に建てられたのは、形だけ似ている「瑠璃塔風」の建物「大報恩塔」で、かの瑠璃宝塔とは全く別物なのです。

 大報恩寺の瑠璃宝塔は、古代中国の皇家寺院建築の最高峰であり、後世の皇家庭園建築の模範にもなっています。「昼間には雲を穿つ金色の法輪が如し、夜間には月を照らす華やかな灯が如く」と言われたような美しさを、現世に生きる私たちはこの目で見届けることができず、史書に残存する貴重な記載を基に想像することしかできません。しかし、その短い文字からでも、瑠璃塔の輝きには、ただの永楽帝の親思いだけではなく、古代中国の瑠璃製造技術・建築工芸と、職人たちの神仏を尊ぶ敬意の念が込められているのが分かります。そして何より、佛国の輝きを再現した瑠璃宝には、古代中国人の神仏への信心が、永らく託されていたのでしょう。

 註:

 ①中国語原文:塔上下金剛佛像千百億金身。一金身,玻璃磚十數塊湊成之,其衣折不爽分,其面目不爽毫,其鬚眉不爽忽,鬥筍合縫,信屬鬼工。(『陶庵夢憶』より)

 ②中世の七不思議は、南京の大報恩寺瑠璃塔の他、ローマのコロッセウム、アレクサンドリアのカタコンベ、万里の長城、ストーンヘンジ、ピサの斜塔とイスタンブールの聖ソフィア大聖堂が一般に挙げられる。

 ③中国語原文:中國之大古董,永樂之大窰器,則報恩塔是也。(『陶庵夢憶』より)

(文・戴東尼/翻訳・常夏)