一、「孫の手」の語源
「孫の手」は、背中など自分の手が届かない部位を掻く際に用いられる長い棒状の器具のことです。「祖父母の背中を孫が掻く」というイメージから、「孫の手」いう名前が付けられたという説がありますが、その歴史は更に遡ります。
「孫の手」は、古代では「爪杖(つまづえ)」と呼んでいました。1712年に出版された百科事典『和漢三才図会』(※1)においては、「爪杖」を、『爪杖は桑の木を使って手指の形を模ったもので、自分の背中を掻く道具。これを「麻姑の手」という』と説明しています。
ニ、麻姑の手
麻姑は、中国の西晋・東晋(265〜420)時代に成立した書『神仙伝』に登場する仙女です。『神仙伝』は10巻からなり、その中には92人の神仙の説話が収められ、その巻二「王遠」と巻七「麻姑」の項に、麻姑に関する記述がされています。
後漢の桓帝の時代に、王遠という仙人がいました。王遠がその弟子である蔡経(人間界)の家に降臨した際、「蔡経の家に来ているので、久しぶりに麻姑に会いたい」と遣いをやり、麻姑と言う仙女を呼びに行かせました。しばらくすると、麻姑がやってきました。
麻姑は歳が18、19歳ぐらいの若い女性です。彼女は頭の頂を髷(まげ)に結い、残りの髪は腰まで垂らし、服には模様があり、金襴ではないものの、その衣装が放つ光に目を奪われるほど、言葉では表現できない美しさでした。そして、麻姑の指は長い爪をしていました。
麻姑の綺麗な手を見て、蔡経は、「この爪で痒いところを掻いてもらえば、さぞ気持ちいいだろう」と、心密かに思ってしまいした。蔡経のこの不謹慎な思いがすぐに王遠に見抜かれ、罰が当たり、何者かに鞭で打たれました。ところが、蔡経の背中に当たる鞭は見えるのに、鞭を打つ人の姿は見えなかったそうです。
この、掻いてもらうと気持ちがよいだろうと言うところから、「麻姑の手」と言う言葉が生まれ、それが転じて「孫の手」になったと言われています。
普段の生活で、何気なく使っている「孫の手」には、意外にも深い文化的背景があり、その言葉を再認識させてくれます。
三、仙女麻姑にまつわる言葉
麻姑にまつわる言葉は他にもあります。ここではそのうちの3つを紹介したいと思います。
①「滄海桑田(そうかいそうでん)」
『神仙伝』では、麻姑と王遠との間に、以下の会話が交わされたことが記述されています。
麻姑は蔡経の家に到着してから、王遠に「お目にかかりまして以来、早くも東海が三回も桑田に変わったのを目撃しました。先程蓬莱に参りましたところ、水も前の大海の時に比べて、その半分ばかり浅くなっておりました。やがて陸地になってしまうのではないか」と言いました。その話を聞いた王遠も笑って、「聖人もみんな海中に埃が揚がるとか言っておられる」と言いました。
これは青い海が桑の畑に変わるほど、世の中の変化が著しく激しいことを意味する「滄海桑田」、「桑田碧海(そうでんへきかい)」の語源になったものです。
18、19歳の容貌の麻姑は、なんと3回も「滄海桑田」の天変地異を目撃しています。そのことから、麻姑の実際の年齢は何千、何万歳でもあるのではないかと推測されます。仙人が住む世界は人間界と異なり、その時間の流れも我々の想像を遥かに超えるもので、ただただ感嘆するばかりです。
②「麻姑献寿(まこけんじゅ)」
伝説では毎年3月3日(旧暦)の西王母の誕生日に仙人たちが集まり、蟠桃会(ばんとうえ)が開かれるといいます。当日は四海竜王、八方神仙、天上仙女が集まり、麻姑も西王母の誕生祝いに美酒を捧げるためにやって来ます。このエピソードは中国に広く伝わる「麻姑献寿」という神話にあります。
若さと美貌を持ちながら、永遠の命を有する麻姑は古くから長寿の象徴とされ、そして、多くの画家に絵画の題材としても好まれ、描かれました。
③「麻姑搔痒(まこそうよう)」
麻姑の長い爪が痒いところを掻くのに適しているため、痒いところに手が届くという意味で、物事が思いどおりになること、または、細かい要望に対して満足する結果で応えることができることを表す四字熟語として、「麻姑搔痒」があります。
巷には「麻姑掻痒な秘書は素晴らしい」や「麻姑搔痒なサービスを提供する」などの言い方があり、相手の望むことを察し、細かいところまで気配りや配慮ができる麻姑のような人やサービスが人気なのは共感できます。
麻姑のような人に少しでも近づきたいものです。
(※1)江戸時代中期の図説百科事典。寺島良安編纂。 105巻。正徳2(1712)年成立。中国の『三才図会』に範をとり,和漢古今の事物を天文,人物,器物,地理などに分類し,図入り漢文体で解説している。
(文・一心)