中国の春秋時代の思想家、教育家である孔子は、道徳教養を重んじ、日常生活にありふれた事物や現象の中にある真理を発見し、人々を善導することに長けていました。水に対する観察、理解、思考をもって、倫理と道徳の考えから、水に対する深い理解と認識を述べ、人々に知恵の悟りを与えます。今回は、そんな孔子の水に対する観察について紹介します。
孔子は道徳と正義を広めるために諸国を周遊し、弟子らを率いて山水の間を歩き回りました。孔子は黄河を見たとき、思わず「美なる哉水は、洋洋たるかな①」と嘆じました。急流の沂水の川沿いに立ち、感慨深げに「逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎かず②」と弟子たちに語りました。水の流れのように過ぎてゆく時間に対する感嘆とともに、時間、永遠、人生の意味と追求など孔子の哲学的な思考を述べ、時間を大切にし、躊躇なく人生の「正道」を追求することを勧めています。
ある日、孔子は東へ流れる川をじっと見ていました。弟子の子貢は「君子は大きな川水を見ると、必ず観察・鑑賞します。それはなぜでしょうか」と尋ねました。孔子は、「大きな川水は、延々と流れ続き、四方を灌漑し、万物を潤し、行く先々で大地に生命をもたらしますが、自分の所為と考えません。まさに徳に似ています。高いところから低いところへ、穏やかでも激しくても、理に従って流れているのは、義に似ています。何千本何万本が合流してきた広大さを以て、尽きることなく海に流れ込むのは、道に似ています。深い谷をも恐れず走り、崖や岩壁をも切り裂くのは、勇に似ています。くぼんだ所にそそいでも必ず平らになり、公平公正であるのは、法に似ています。計量器を満たす時、斗掻きを要せず、常に水平を保てるのは、正に似ています。どんなに細かく小さな所までも浸透していくところは、洞察力に似ています。出入りすることによって物事を清潔にできるということでは、善なる感化に似ています。どこから発生しても、数多く曲がりくねったとしても、必ず東に向かって流れていくのは、志向に似ています。ですから、君子は大きな川水を見ると必ず鑑賞するのです」と答えました。③
水はもの争いをせず、万物に恵を与え、東に向かって海に流れていきます。君子ももの争いせずに人を善化し、躊躇わずに大道を追求し、それによって自らの品格が日々新しくなり、知恵も無限になるのです。孔子はこうして、水の形と性質を人の性格、品質、意志、道徳などとつなげて、人として生きる方法を教えています。
中国語原文:
①美哉水,洋洋乎!(『史記・世家・孔子世家』より)
②逝者如斯夫!不舍晝夜。(『論語・子罕』より)
③孔子觀於東流之水。子貢問於孔子曰:「君子之所以見大水必觀焉者,是何?」孔子曰:「夫水遍與諸生而無為也,似德。其流也埤下,裾拘必循其理,似義,其洸洸乎不淈盡,似道。若有決行之,其應佚若聲響,其赴百仞之谷不懼,似勇。主量必平,似法。盈不求概,似正。淖約微達,似察。以出以入以就鮮絜,似善化。其萬折也必東,似志。是故見大水必觀焉。(『荀子・宥坐』より)
(文・智真/翻訳・松昭文月)