人生に福をもたらすには、天理に従い、心を真に修めなくてはならないと、古代から言い伝えられてきました。善行は徳を積むことを上と為し、徳を積むには、護生と不淫を貫くことが一番重要と上と為しています。
古来から言われているように、色を戒められる者は必ず福を得ます。性を貪り、欲のままに行動し、公の秩序と善良な風俗に反する者は徳を損ない、前途を閉ざすことが必至です。そのような行動に及ばなくても、思う心や考えが片隅にあるだけでも、それはすでに罪となります。その不徳の致すところは、自分の身に災いを招くだけでなく、子孫にまで業が及びます。なぜならそれは天道に逆らう行為であり、天地が許さないからです。
古書に記されているこのような事例は多いのですが、以下の例を二つ挙げます。
色情を遠ざけ、福を得た林茂先①
北宋の時、江西信州(現在の江西省上饒市信州区)出身の林茂先は才学非凡な御人でした。家がとても貧しかったので、ほとんどの時間は家に閉じこもって読書に励み、郷の推薦を受けました。林茂先の隣家は裕福な家柄でしたが、その家のご婦人は自分の夫に学がないところを嫌っていました。林茂先の才学と名声に魅かれてしまい、密かに慕うようになりました。ある晩、ご婦人が林茂先の家に人知れず駆けつけてきました。
林茂先は、「男女間であるがゆえに、あなたのこのような行為は礼法に反します。天地の間、八百万の神々がご覧になっているというのに、あなたはなぜ私の品行を汚そうとするのですか?」と厳しい表情で真剣に言いました。そう言われて婦人は、どうしようもない羞恥心に襲われて去って行きました。
翌年の天聖八年(紀元1030年)で、林茂先は進士に合格しました。才能に溢れ、功績が卓越で朝廷に重用された林茂先は、京で太常卿を務め、二品の官員を務めました。林茂先の弟も、林茂先の三人の息子もみな進士に合格しました。「一門に五進士」の美談が称えられました。
『中庸』は一段落目で、君子は「慎独」すべきだと書かれています②。いわゆる「慎独」とは、「独りを慎む」ことであり、君子が他人に見えないところでも無礼を働かないということです。一方、小人を「忌憚無し」と論じます。つまり、身を修める要務は、まさに「畏敬」の二文字です。林茂先が言う「男女間であるがゆえに、あなたのこのような行為は礼法に反します」は「敬」に当たり、「天地の間、八百万の神々がご覧になっています」は「畏」に当たります。このように林茂先の日頃の行いから、修養の深さが伝わります。
古代中国人は天を敬い、神を敬います。君子は暗室にいても、電気のような神の監視があることを知っています。自分の欲望を放さず制御することこそ、善をなす上での基本土台となるのです。その徳はみな身に返り福となり、天にも届くその高潔さは、人神共に敬服に至るのです。小人は、因果を信じず、忌憚なく悪事を働き、隠し通せば誰も知る術はないと、勘違いしているのです。しかし人に隠せれても、天地の神には隠せません。様々な罪業を重ねる小人は、天地間の神々の怒りを買ってしまいます。
善を勧め、神を感動させた書生③
明王朝期、嘉興府(現在の浙江省嘉興市)出身の書生は、悪を遏め善を揚げる敦厚の人柄の持ち主です。親戚や友人、同級生が品行に違反する聞き捨てならない話を聞くと、書生は決まって厳粛に阻止と訓戒をしてあげました。人の是非を妄論、人の名節を誹謗中傷、わいせつな事を口にするなどの過ちを正すために、書生は『口孽戒文』を書き、他人を忠告しました。書生は勧善書をたくさん読み、軽々しく業を造らないようにと、何度も人々に諭しました。書生の忠告を受けて、遷善になった人が多くいました。
ある年、書生は科挙を受験しました。合格発表の前夜、書生は先祖様の夢を見ました。夢の中で、書生の先祖が書生に言いました。「前世でおまえは、若くして進士に合格したが、傲慢で不遜であった。その代償として神様はおまえに、今生は何度科挙を受けても、合格しない不遇な一生を送らせるつもりであった。しかしながら今回、受験者の中に解元、来年には進士になれる運命を持つ者が一人いたが、色欲に溺れて先月、未婚の少女と淫乱行為し、功名は剥奪された。おまえは『口孽戒文』を書き、他人に勧善書を読むように勧め、陰徳を蓄積し、邪淫を戒め、淫乱なことを口にする人が少なくなったのではないか。よって文昌帝君は特別に上帝に奏し、おまえの名前でその功名の空きを埋めることにした。これからもっと堅実に徳を修めて、天恩に応えるよう励んでくれ」とのことでした。
合格発表の時、書生はまさしく解元になりました。公務員になった書生はますます慎重になり、善事を力行しました。清廉さを貫き、御史まで勤めました。
因果応報の感応は、こんなにも速く訪れるのです。悪を改め善に従うことを勧める慈悲な心でも、天地を感動させ、福運が増し、善報を十分もたらすことができるのです。
中国語原文:
①信州林茂先,閉戶讀書。得鄉薦後,有富鄰婦,厭夫不學,慕茂先才名,奔之。茂先曰:「男女有別,禮法不容。天地鬼神,羅列森布。奈何汙吾?」婦慚而退。茂先次舉登第,三子皆登第。(『安士全書・慾海回狂集・卷一』より)
②故君子愼其獨也。(『礼記・中庸』より)
③嘉興府某生,性喜隱惡揚善。遇子弟親友,談及閨門事,輒正色怒戒。因作口孽戒文,垂訓後學。後進棘闈。放榜前一夕,夢其父語曰:「汝前生少年進士,因恃才傲物,上帝罰汝屢困場屋,終不發達。前月有一士,應今科聯捷者,為奸室女除名。文帝奏汝作口孽戒文勸人,陰功甚鉅,請以汝名補之。汝必聯捷,宜益修德以報天神。」生惊喜。登第后,謹厚倍常。仕至御史。(『寿康宝鑑』より)
(文・静遠/翻訳・金水静)