「明鏡止水」は、「明鏡」と「止水」という二つの言葉が組み合わさってできた四字熟語です。「明鏡」は「塵や垢がついていない、曇りのない鏡」を、「止水」は「静かに止まっている水」を意味する言葉で、二つ合わせて、「一点の曇りもない鏡や、静止している水のように、邪な心がなく、明るく澄みきって落ち着いた心境」という意味として使われています。
「明鏡止水」という言葉は、今から約2300年前の中国の戦国時代中期に成立したとされる思想書『荘子』に由来します。『荘子』は、一切をありのままに受け容れるところに真の自由が成立するという荘子の思想を、多くの寓話を用いながら説いており、「明鏡」と「止水」は、その中の「内篇徳充符篇」に出てくる言葉です。
一、「明鏡」について
寓話に登場する人物は、足を切られる刑を受けた「申徒嘉」と、宰相の「子産」の2人です。2人は、同じ先生の下で学んでいました。
子産が、「なぜ刑を受けて片足のない申徒嘉が、宰相の私と同席して勉強するのか」と申徒嘉のことを嫌がりました。これに対して、申徒嘉は、同じ先生の下で学ぶ者は対等であり、「鏡がピカピカに光っていれば、塵はつかない。塵がつくようなら、それは鏡が汚れているからだ。徳のある人と一緒にいれば、心が澄んで過ちをしないようになる」(「鑑明則塵垢不止、止則不明也。久與賢人處、則無過」)と答えました。
申徒嘉はこのようにして、子産の自分に対する偏見や、傲慢な態度を、鏡につく汚れや曇りに例え、「外見や地位で人を見極めるのは、恥ずかしいことである」と、子産の不純な心を指摘しました。
このエピソードから、「邪念が一切なく、心が澄み渡っていること」を表現する「明鏡」という言葉が生まれました。
ニ、「止水」について
魯の国に、足切りの刑にあった王駘(おうたい)と言う人がいました。彼は体が不自由でしたが、大変な人望があり、孔子に匹敵するほど多くの門下生を持っていました。孔子の弟子である常季は不思議に思い、その理由を尋ねました。
孔子はこう答えました。
「王駘と言う方は聖人だ。私も一度はお目にかかりたいと思っている。あの方は、天地自然の真理を心得ており、外物に振り回されないのだ。彼はたとえ生死の関門にいるとしても動じないだろうし、天地がひっくり返っても平然としているだろう。」
更に、孔子は「それは彼が何ものにも動かされない静かな心を持っているという事だろう。人が自分の姿を水に映して見る場合は、流れる水ではなくて、静かに止まっている水を鏡とする。それと同様、心が動いているようでは、誰からも信用されないが、常に変わらぬ不動心を保っている者には、誰もが安心できるのではないか」(「人莫鑑於流水、而鑑於止水。唯止能止衆止」)と言いました。
このことから、心にさざ波をたてないことを「止水」と言う言葉で表現するようになりました。
「明鏡」も「止水」は、いずれも人の心の綺麗さと平静さを表す言葉です。今では、よく「明鏡止水の気持ちで新年を迎えることができた」や、「明鏡止水の心境で試合に挑む」、「明鏡止水の気持ちで余命を生きる」等、落ち着いた静かな心境を表すときに、この言葉が用いられていますが、『荘子』では、「明鏡止水」をもう少し深意あるものとして捉えていました。
三、「明鏡止水」の真の境地とは
「明鏡止水」とはどんな心境のことなのか、それについて、荘子が「内篇応帝王篇」において、「至人の心を用いることは鏡の若し」(「至人之用心、如鏡」)と記述し、賢者の心を明鏡に例えました。
それは、「何事にもこだわらぬ自由の境地に至った至人の心は、あの明鏡のようである。なぜならば、明鏡は物の姿を主観的に映すようなことはしない、いかなるものでも客観的に映し、その形跡を残すようなことはしない。だからこそ、誰が来ようと、ありのままの姿を映しては消し去り、明鏡を曇らせることはしない。それと同様に、至人の心の動きは全てのものに対して、差別もなければ、執着もない。天命のあるがままに自由自在である」と、荘子は、聖人の心の境地の高さ、奥深さ、玄妙さを説きました。
「明鏡止水」は何のこだわりも、邪心もない平常心を表しています。現代社会に生きる我々は、様々な誘惑に囲まれ、悩みやストレスの多い生活を送っており、荘子の説いた境地には、なかなか到達できないでしょう。それでも、欲望に負けず、マイナス思考を断ち切り、平穏な心、純粋な心、優しい心を保つよう、常に心がけていく必要があるように思います。
参考文献: 「荘子 内篇」 著者/福永光治 出版社/講談社学術文庫
「<新訳> 荘子 天命に逆らずあるがままに生きる」編訳/岬龍一浪 PHP研究所
(文・一心)