中国にある世界遺産である長城「万里の長城」は、世界の建設史上最も長く、最も壮大な軍事防衛の工事によるものです。2000年以上の歴史を持つ万里の長城は、春秋戦国時代から建てられました。しかし、万里の長城は本当にそんなに長いのでしょうか?
長城とは、長く連なった城壁のことで、主に中国の河北、北京、山西、陝西、甘粛を含む15の省、自治区、市町村に分布しています。現在「万里の長城」と呼ばれているのは、一般的に、14世紀の明王朝期に建てられた万里の長城のことを指します。
明王朝期では、長城周辺の防御を効果的に管理するために、東の鴨緑江から西の嘉峪関まで至る長城は、「九辺」または「九鎮」と呼ばれる9つの防御区画に分かれ、それぞれの区画に委任された司令官は「鎮守」とも呼ばれました。その後、北京地域の防衛を強化するため、北京近郊の「薊鎮」は3つに分割され、11の防御区画は「十一鎮」とも呼ばれました。当時、この「九辺」と「十一鎮」に駐屯していた将校や兵士は、97万人にまで達していたそうです。
中国文化遺物測量・地図作成部門の調査によると、明王朝期の万里の長城の全長は8851.8キロメートルです。そして秦漢王朝と初期(春秋戦国時代)の万里の長城は、長さが10,000キロメートルを超え、合わせて全長が21,000キロメートルを超えていました。
古代中国の距離の単位である「里」は、現在の1キロメートルの半分にすぎません。それでも、明王朝期の万里の長城だけでも、その長さは5,000キロメートル、つまり「1万里」を超えています。秦漢王朝と初期(春秋戦国時代)の万里の長城を加えると、長城の全長は20,000キロメートル、つまり「4万里」を超えます。このため、万里の長城は本当にそこまで長く、正真正銘の「万里の長城」なのです。
(翻訳・宴楽)