現在、多くの会社で、個々の事情による遅刻や欠勤が発生しています。これらの再発防止策として、様々なルールや罰則を設けていますね。
古代中国でも同じです。各王朝は公務員に対して、遅刻に関する規則と罰則を細かく制定していました。古代中国の公務員の勤怠事情を、今回の文章にて紐解いて行きましょう。
勤務時間について
古代中国の公務員は「清、慎、勤」を仕事のモットーとしています。その中の「勤」とは、定刻通りに出退勤することで、遅刻や早退、欠勤は禁止されています。これは勤め人としての基本になります。
『詩経・斉風・鶏鳴』に、「鶏が泣いたわ。朝廷が大臣たちに満たされているわよ①」「東の空が明るんだわ。朝廷にいる大臣たちはもう忙しくしているわよ②」と、寝坊している夫を起こす妻の姿が記載されています。つまり、春秋時代の中国では、「鶏が鳴くと出勤する」というルーティンがありました。そして、鶏鳴の時刻はおおよそ「卯時(午前5時〜午前7時)」ですので、職場での点呼は「点卯」と呼ばれ、現代まで伝わりました。
退勤時間に関しては、各王朝ではおおよそ一致していました。例えば、清王朝の規定によれば、春夏期では午後4時の退勤、秋冬期では午後3時の退勤と規定されていました。つまり、古代中国の公務員の勤務時間は、現代社会の「9時から5時まで」と比べて、出退勤ともに早く、「7時から4時まで」でした。
それもそのはず、古代中国の交通手段は現代のように便利でないため、通勤には長い時間を要したのです。そのため、定刻に出勤するには、朝早く起きる必要がありました。詩人の白居易も、「退勤して帰宅したら夜になってしまい、出勤するにも朝早く家を出る必要がある③」と詠い、通勤の大変さを如実に表現しました。古代中国においても、一等地の土地価格が安くなく、職場に近い立地条件の良い家を買うのは、中低階級の公務員にとって容易なことではありませんでした。そのため、遠郊に家を構える公務員たちは、退勤して帰宅すると深夜になることも多かったのです。
古代中国の公務員は、朝一番の仕事は朝会です。中央政府である朝廷で開催される皇帝と首脳大臣たちの朝会・「早朝(そうちょう、中国語の読み:ザオチャオ)」は、古代中国で一番有名な朝会でしょう。地方の各級役所でも、朝廷と似たようなスケジュールで、長官が主催する朝会が一日の仕事の始まりです。
勿論、このような朝会は必ず人数を確認します。このとき知り合い同士の関係である同僚たちは、誰か一人でも欠席したらすぐに気づくことができます。これも一種の勤怠確認になりました。
遅刻や欠勤に対する罰則
遅刻や欠勤に対して、古代中国では法律による厳しい規定が制定されています。体罰以外、給与の控除、降格、解雇、さらには禁固刑など、さまざまな罰則がありました。
遅刻は、回数に応じて給与から控除されます。「早朝」を例とすれば、唐の玄宗の時代では三か月分の給与控除となっています。唐の粛宗の時代では一か月分の給与控除となっています。そして唐の文宗の時代では、四十分の一の給与が控除されています。
唐王朝期の刑法典『唐律疏議(とうりつそぎ)・職制五』では、無断欠勤に対する罰則を明記しております。「内外問わず、無断欠勤する官員に対し、一日の欠勤に対し笞刑二十打を処す。さらに三日の欠勤ごとに対し笞刑を倍にする。満二十五日の欠勤に対し杖刑百打を処す。満三十五日の欠勤に対して徒刑一年を処す。満四十五日の欠勤に対して徒刑一年半を処す」とあります。辺境などの要所に勤める官員は「加罪一等」となり、受ける刑罰はさらに倍になります。④
同時に、罰則に関する司法解釈も詳しく明記してあります。例えば、勤怠を確認する必要のある官員に対し、一日に数回の点呼を行います。点呼の時に応答がなかった官員は不在とみなし、一回の不在に対し笞刑十打を処します。ただし一日のうち不在回数は二回までと決められており、笞刑も二十打までです。そして、一日のうちすべての点呼に応答しなかった官員は無断欠勤と判断され、日数に応じて処罰されます。⑤
無断欠勤のために職を失った官員もいました。清の高宗(乾隆帝)時代、皇孫の教育係を務める錢在上という名の翰林は、連日欠勤により免職処分をされ、昇進の道は閉ざされました。
以上、古代中国の公務員たちの勤怠事情を紹介しました。仕事の効率向上のために、古代中国では規則を遵守するよう制度が完備されていました。その制度が厳しいのかどうかを、ご自身の勤怠状況と照らし合わせて、比べてみましょう。厳しくないと感じ取れれば、あなたは古代中国においても仕事に勤しむ努力家になれるでしょう。もし厳しいと感じていれば、あなたはもう少し頑張る必要があるかもしれませんね!
註:①中国語原文:雞既鳴矣、朝既盈矣。(『詩経・斉風・鶏鳴』より)
②中国語原文:東方明矣、朝既昌矣。(『詩経・斉風・鶏鳴』より)
③中国語原文:退衙歸逼夜,拜表出侵晨。(白居易「晚歸早出」より)
④中国語原文:因給暇而故違,並一日笞二十,三日加一等,二十五日合杖一百,三十五日徒一年,四十五日徒一年半。(『唐律疏議・卷第九』より)
⑤中国語原文:內外官司應點檢者,或數度頻點,點即不到者,一點笞十。謂一日之內,點檢雖多,止據二點得罪,限笞二十。若全不來,上計日以無故不上科之。(『唐律疏議・卷第九』より)
(翻訳編集・常夏)