中国人が親孝行を大切にするように、西洋人もキリスト教文化の影響で、親孝行を大切にしています。
中国の伝統文化に「百善孝為先(親孝行が第一の美徳)」とあるように、西洋のキリスト教文化でも、親孝行がすべての美徳の第一とされています。「モーセの十戒」において、1から4までは神と人との関係を示すのであれば、5から10までは人と人に関する項目となります。人間同士の関係に関する六つの戒めにおいて、親孝行が一番に挙げられます。「父と母を敬いなさい。そうすれば,あなたの神エホバが与える土地で長く生きられる①」との言い伝えもあります。
西洋の歴史にも、親孝行の話はたくさんあります。ここでは、西洋の親孝行物語を三つ紹介します。
「神を敬う野原」
数百年前、イタリアのシチリア島で火山が噴火しました。煙は空を覆い、溶岩は周辺の多くの村々に流れ込みました。人々は金銀財宝を背負って、できる限り遠くへ逃げましたが、生存者は少なかったのです。
その生存者の中には、アナビスとアンフェルノという二人の少年がいました。二人が背負っていたのは金銀などの貴重品ではなく、二人の両親でした。やがて最終的にたどり着いたのは、緑豊かな野原でした。そこで、家族四人平和で幸せに暮らしました。
当時の人々は不思議に思いました。若者たちは親孝行が神に認められたから、危機から逃れただけでなく、緑豊かな場所に導かれたからだと、みんな信じました。そのため、人々はこの家族がたどり着いた場所を「神の敬う野原」と呼んでいました。
父の代わりに死刑を受ける司祭
オクタヴィアヌス帝は、ユリウス・カエサルに次ぐ偉大なローマ皇帝の一人です。彼は帝国を拡大しただけでなく、かなりの期間、平和と繁栄を維持しました。
紀元前30年、オクタヴィアヌス帝は、同じくローマ帝国の軍事的凄腕・アントニウスとの戦いで勝利を手に入れました。
オクタヴィアヌス陣営が捕虜を点検している時、一人のみすぼらしい老人が、ローマ司祭の父親であることが判明しました。父の姿を見た司祭は、身分の差を忘れ、駆けつけて近寄り、父を抱きしめて大泣きしてしまいました。
そこで、司祭は他の司祭たちに向かって語りました。「私はあなたたちの同僚です。私の父は私たち(オクタヴィアヌス陣営)の敵です。父はまもなく死刑になり、私は戦いの勝利で褒賞を受けるでしょう。しかし、その褒賞より、私は父が欲しいのです。どうか、私に褒賞ではなく、父の命を頂けませんでしょうか。それができないのであれば、父と一緒に死なせてください」とお願いしました。
これを聞いた他の司祭たちは皆、涙を流しながら、オクタヴィアヌス帝に報告しました。オクタヴィアヌス帝は、その司祭の父親に特赦を与えました。
親孝行の使用人
18世紀のプロイセン王、フリードリヒ大王は、ヨーロッパの「啓蒙専制君主」を代表する人物で、政治、経済、哲学、法律、さらには音楽などにおいて、多くの功績を残しました。
ある日、仕事中のフリードリヒ大王は鐘を鳴らして、使用人を呼び出しましたが、誰も来ませんでした。そこで、フリードリヒ大王は窓を開けると、当直の使用人がベンチで寝ているのが見えました。使用人の上着のポケットに、手紙のようなものが入っていました。
フリードリヒ大王は、こそっと使用人のところに行き、手紙を取り出して開けてみました。それは使用人の母親からの使用人宛の手紙でした。手紙には、使用人は少ない給料を全額母親に送り、母親の生活を助けていると、とても親孝行に尽くしているいい息子だと書かれていました。
フリードリヒ大王は心の中で大いに感心しました。大王は金貨10枚を手紙の中に入れて、手紙を使用人のポケットに戻しました。
部屋に戻ったフリードリヒ大王は再びベルを鳴らしました。何度か鳴らしてから、ようやく使用人が目を覚まし、駆けつけてきました。この時、使用人はポケットの中の金貨にも気づきました。あまりの驚きで、使用人は慌てて顔を伏せ、「私のポケットに金貨を入れて、私を陥れようとしている人がいるかもしれません」と謝罪し続けました。
フリードリヒ大王は、それは自分が贈った金貨であることを打ち明けました。「母親に送りたまえ。王からの誕生日祝いだ」と言いました。使用人は大変感動しました。
孔子は、「孝は天の経なり、地の義なり、民の行なり②」と言いました。東洋も西洋も問わず、孝は天から認められ、賞賛されているは明確なのです。
註:①『出エジプト 20:12』より
②中国語原文:夫孝。天之經也。地之義也。民之行也。(『古文孝經・三才章第八』より)
(翻訳・金水静)