『三字経』の一部(看中国/Vision Times Japan)

 『三字経』とは、11世紀の中国で編集された道徳や文化的素養を育むための児童向け啓蒙書である。その内容は、歴史、天文、地理、倫理、道徳および民間伝説に及ぶ。三文字一組で構成され、語呂がよく暗記しやすい。古代の人々は、諳(そら)んじることができたという。

 中国の長い歴史が集めた大切な道徳や知識を、短い言葉の中に凝縮して収めている。それゆえに、『三字経』は昔から途切れることなく現在まで伝わっている。江戸時代には日本にも修身の書として伝わってきている。著者は、南宋時代(1127年~1279年)の著名な学者・王応麟。清朝雍正5年(1727年)、ロシア語に翻訳されてロシアに伝えられ、それ以降、英語やフランス語など多くの言語に訳された。1990年秋、国連教育科学文化機関(ユネスコ)より「世界児童道徳叢書」に指定され、世界共通の文化遺産となった。

 最近の世相を一言で表現すると、社会の道徳が急速に低下し、最も基本的な道徳さえ「弊履(へいり)を棄(す)つるが如(ごと)し」(破れた履物を捨てるように、何の未練もなく捨て去ることのたとえ)だ。多くの教師や親たちは、この頃の子供たちは昔と違って大人を尊敬することを知らず、忍耐に欠けていて、礼儀を知らないと言う。しかし、子供たちが意気消沈し、道徳が低下した根本的な原因は、単に子供たちだけの問題ではない。社会がこれだけ堕落した原因を探ろうとすればいろいろな説明が可能だが、筆者の見方では、最も根本的な問題は、信仰心の衰退と道徳意識の低下にあると思っている。

 あらゆる時代の社会、文明を評価する時、表面に現れた物質的な側面だけではなく、その社会ないし文明自体が持つ精神世界を見ることが肝要であり、特に信仰心と道徳心があるかどうかが重要だ。信仰心が厚く、道徳観念を持っている人は他の人に悪いことをするよう勧められたとしても、敢えて行わないものである。

 良き伝統文化を有していた時代は、命を大切にし、むやみに人を処刑することはなかった。特に春から秋にかけて万物が成長する時期には、官庁も天の意志を尊重して処刑を執行しなかったという。このような道徳的な物語が伝えられてきた背景には、当時、人々の間で三教(儒教・仏教・道教)が盛んで、信仰を土台とした道徳的基準が高かったということがある。

 今の人々は、過去にあった良き伝統文化に言及しただけで、まるで時代遅れの遺物を扱うように考える傾向が強い。特に、現代科学を多く学んだ知識人であればあるほど、その傾向がより顕著であるという。しかし、もう少し深く考えてみると、このような見方は、社会の最も表面的な物質空間に限定された浅い見解であり、深層にある精神世界に対する無知から生じたものである。

 それゆえ、現代の科学技術がいくら発達しても、人間の根本的な問題を解決することはできず、社会の腐敗や堕落、自然環境の破壊など、数多くの問題を解決できないのである。むしろ人々は自身を振り返り、自らの精神を浄化させ、己の道徳的基準を高めることこそが社会を安定させる最善の方法であり、また個々の生活の質を向上させる方法でもある。

 子供は後天的に形成された観念による障害が少ないので、子供の時期の信仰心や道徳教育は非常に重要である。「三つ子の魂百まで」という言葉があるが、これは的確に言い表している。このことから筆者が考えるに、私達の教育の問題点を解決する最善の方法は、子供には幼い頃から東洋伝統文化の真髄を教え、子供たちに正しい事と正しくない事、善と悪を自ら判断できる良い基準を教えてあげることにあると思う。

 このような事情から、『三字経』を通じた漢字と中国語の学習が、子供の知能開発と人間形成に役立つのはもちろんのこと、東方文化が新たに復興するこの時期に必要不可欠なツールとなることを確信している。

(文・蓮成)