清王朝期の小説集『子不語』に、このような物語があります。
雍正四年の会試で、張塁という名前の年寄りの進士が採点試験官を務めました。張さんはいつも、陳腐で融通が効かないと言われます。
張さんは毎晩、香を焚き、天に祈祷します。「私はいい歳をしながら、学業を疎んずるばかりで、試験官を務めるような人材であるはずがないのです。神様よ、良い文章がありましたら、受験者の先祖が陰徳を積んでいましたら、愚かな私に教えてください」
他の試験官は張さんの行為を嘲笑しながら、張さんをからかおうと思いました。張さんが一枚の不合格の解答用紙を横に置いていたら、試験官たちは細い竹竿を使って、障子越しに張さんの帽子を三回つつきました。
神様への祈祷が届いたと思うばかりの張さんは、驚くあまりに、衣装を整えて、天に拝みました。「この受験者は文章が確かに良くはありませんが、陰徳を積んできたのは間違いないと、神様が私に教えてくださっているのです。神様よ、もし本当にそのようでしたら、先ほどのように私の帽子を動かしていただいて、私めを注意してくださいませ」と、張さんはまた祈祷を始めました。
そんな張さんをからかっている受験官は、必死に笑いを我慢しながら、張さんの帽子を再びつつきました。先まであの解答用紙を見直していた張さんが、解答用紙を二度見ず、試験官の主席に直接渡そうと外に出ました。
主席試験官は既に寝ていましたが、張さんは主席試験官の部屋の扉を叩き、主席試験官を起こしました。そして、神様の導きがあったから主席試験官の判断を急いで仰ぎたいと説明しました。
主席試験官は受験用紙に載っている文章を読み終えたら、「この文章はよく出来ていますね。合格できる良い文章です。なぜわざわざ神様の導きだとまで言うのですかね?」と張さんに言いました。
そして合格発表の時、張さんが見ていた文章を書いた受験生も合格者の名簿に載っていました。これを見た試験官たちは笑いながら、「私たちがあなたをからかったからだよ」と張さんに言いました。
張さんは表情を変えず、「皆さんが私をからかったのではなく、皆さんが神様にからかわれたのです!」と言いました。
よく考えてみたら、本当にそうなのかも知れません。試験官の皆さんはなぜ、ちょうどそのタイミングでみんなして集まって、張さんをからかおうと思ったのでしょうか。もしかしたら、神様が試験官の竹竿を使って、合格者を見逃さないように張さんに注意させていたのかも知れません。まさに、神の仕業と言わざるを得ませんね。
(翻訳・常夏)