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 日本ではお辞儀を見ない日はありません。お辞儀は日本を代表する習慣となっています。

 幼稚園の正門前に、出迎えてくださる園長先生に体を深く曲げて、「お早うございます!」と無邪気に挨拶する園児、そして、授業の前に「起立! 気をつけ、礼!」と先生に頭を下げて挨拶する小学生、日本ではどこにでもある光景ではないでしょうか? 子供たちは何も考えずに、ただ言われた通りに素直にやっているだけかもしれませんが、しかし、そうしているうちに、頭を下げて挨拶し、お辞儀をすることが自然と身に付いていきます。

 しかし、そもそもなぜお辞儀をするのでしょうか?

 相手に向かって腰を折り曲げる動作は謙虚、感謝、敬意などを表すのだそうです。中国の春秋戦国時代の『礼儀・聘礼(へいれい)』という書物の中に、鞠躬(きっきゅう)つまりお辞儀するという言葉がありました。当時の人々は祝典などの儀式に参加する時、体を低くし、折り屈(かが)めて礼をしたそうです。そして、唐の時代になると、人々は頭を下げ、体を曲げて礼をするのが一般的となりました。お辞儀をすることは人々の身だしなみや社会全体の教養水準を表していました。

 しかし、残念ながら、このような習慣は現代中国社会では受け継がれていません。お辞儀はあくまでも文献上の存在でしかなく、人々の日常生活には浸透していません。

 生活の中で、私達はよく言葉を用いて相手に感謝や敬意を表しますが、実は、体の表現は言葉以上に伝わる場合があります。何しろお辞儀をすれば、相手に敬意を表し、好感を与え、互いの関係を和やかにします。それだけではなく、お辞儀は自らの傲慢心を抑え、腰を低くすることによって、謙虚、誠実な気持ちを持たせます。

 「相は心より生じる」と言われますが、心によって異なる外見が生まれます。傲慢な人、他人を軽蔑する人は頭を下げないでしょう。一方、人を尊敬し、自然に敬意を払い、いつも感謝の気持ちを持っている人は自然と謙虚になり、謙りします。頭を下げる人こそ心が豊かで教養のある人ではないでしょうか。

 日本ではごく普通に行われ、日本人の体の動きの一部となっているお辞儀は古き良き時代の名残で、とても貴重な「無形文化遺産」と言っても過言では無い、と思うのは私だけでしょうか?

  (文・一心)