子どもたちと庭で遊んでいました。子どもたちは、2匹のカタツムリを見つけて、近くでしゃがんでじっと見ていました。
カタツムリに興味のない大人たちは、ただ立話をしていました。しばらくすると、子どもたちが駆け寄ってきて、「カタツムリの動きがとてもかわいいから、見ようよ」と呼びました。
子どもの頃にカタツムリを観察したことがあります。詳しいことは覚えていないのですが、印象的だったのはその動きの遅さでした。我々人間は1歩で数十センチ進みますが、カタツムリは1ミリメートルしか進みません。
私は子供たちの隣でしゃがみ、そのカタツムリを見ました。小さな触角と柔らかい体で花壇を進もうとしているカタツムリは、短時間でかなりの距離を進むことができました。「カタツムリちゃんの動きは遅くないんだ」と、私は言わずにはいられませんでした。
「カタツムリちゃんは遅いよ。小鳥はあっという間に飛んで行っちゃうけど、カタツムリちゃんは半日かけても、ずっと同じ花壇にいるんだからね」と子どもは笑って言い返しました。確かに、小鳥は一瞬で飛び去ってしまいますが、カタツムリは手のひらの距離も進まないでしょう。速さと言うと、カタツムリはとても遅いです。しかし、私の記憶にあったカタツムリと比べると、目の前のカタツムリは十分速いと思いました。
よく考えてみると、カタツムリのスピードはおそらく変わることがありません。変わるのは人間の心です。子どもの頃、カタツムリの這う姿が気になっていましたが、じっと見ているうちに心が焦りだし、だんだんと「遅いね」と感じるようになりました。結果、「カタツムリは遅い」という固定観念が植えつけられたのです。大人になって、色々な生き物のスピードを理解できるようになると、気持ちも安定してきました。ふと振り返ると、あのカタツムリはノンストップで前進することができ、それも目に見える速さだと気づくようになります。
いつか、子どもたちも大人になったら、カタツムリの速さを理解できるようになるでしょう。カタツムリは弱い体で重い殻を背負っているため、1ミリを進むのも容易ではありません。人間から見た活動範囲は狭いのですが、小さなカタツムリは辛抱強く前に進み続けて、自分自身の世界を地道に歩んでいるのです。なぜなら、その速さは変わらないのですから――。
(文・青松/翻訳・松昭文月)