もうすぐ帰省シーズンです。現代社会において、どこかへ出かける時は、ナビゲーションや乗換案内アプリを使うことが常識になりつつあります。どんなに慣れていた道でも、ナビや乗換案内がなければ、旅行どころか、少しだけ遠いところまで行くことが不便で怖くなるかもしれませんね。
そんなあなたは、いざ古代中国にタイムスリップしてしまったらどうなるのでしょう。国土が広い、交通が不便、インフラという概念すらない、ましてやナビも乗換案内もなかった。そんな古代中国で、あなたが行商人、もしくは遠くまで旅行に行きたい人であれば、どうしたら迷子にならずに済むのでしょうか?
そこで、古代中国人の知恵と行動力の見せ所です。今回の文章は、古代中国の交通事情を紹介します。
古代中国の道路
自然環境、経済や政治などの制限により、古代中国の交通は現代のように便利ではありませんでした。しかし、道路に関わる名詞がさまざまでした。
例えば、中国の字書『爾雅』によると、本数に応じて、道路の呼び方が異なります。一本道は「道路」と呼ばれますが、大通りから分岐していく道路は「歧旁」で、三差路は「劇旁」で、十字路は「衢」と呼ばれます。十字路より道路の本数が多いところは「康(五差路)」、「莊(六差路)」、「劇驂(七差路)」、「崇期(八差路)」です。九差路に至っては、日本人の苗字にもなる「逵」と呼ばれます。
様々な名前が付けられている多差路がありますが、水路でも陸路でも、主要な幹線道路は多くありません。そのせいか、選べる道路が少なく、結果的に迷子になることも少ないのです。だからこそ、遠くまで出かける時は、整備された幹線道路・官道をまっすぐに行けば、遠かれ近かれ、自分の目的地に難なく到着することができるのです。
古代中国の道標
官道が少ないとはいえ、分岐点や寄り道が数多く存在するに違いありません。目的地があれば、そこへたどり着く道路や小道も自然と出来てしまうものです。しかし、道路ができたとはいえ、必ずしも自分が行きたいところへ導いてくれるわけではありません。迷子になったら大変なことになってしまいます。そこで、どこへ行けばいいのかを教えてくれる道標も多くできました。
古代中国では、盛り土を使って、里程や境界を示す道標を作りました。その名も「堠(こう)」です。中には、里程を示す「里堠碑」と境界を示す「界堠碑」がありました。「里堠碑」を見れば、どれぐらい歩いてきたかが分かり、「界堠碑」を見れば、どの町まで歩いてきたかが分かります。こうして、正しい方向へ向かっているのか、あとどれぐらい到着できるのかを判断することができます。これが最古の道路標識とも言えます。
また、各州、府、県への官道の途中に、官員たちが休む宿場・「駅站」が設けられています。道に迷ったら、「駅站」の人に聞けば、大まかな方向が大体わかります。もちろん、細かく知りたいのなら、その地に住む住民たちに聞けば、親切な古代中国人は詳しく丁寧に教えてくれます。
迷子になった古代中国人
ナビや乗換案内を使っても、迷子になることも時々あります。古代中国でも、ちゃんとした道路と道標があっても、迷子になることがしばしばありました。
例えば、春秋時代の斉の桓公は、ある年の春に孤竹国の攻略に出征し、その年の冬に帰還します。しかし、帰還する途中に、道に迷ってしまいました。そこで、桓公は宰相の管仲の提案を採用し、老馬を放って、後をついて行かせました。この提案が功を奏し、斉の軍隊は無事帰還できました。後世に有名な「老いたる馬は路を忘れず」の話になりました②。
例えば、武勇で讃えられる飛将軍・李広は紀元前119年、匈奴征伐に臨みます。しかし、別方面から進軍したところ、道案内がいなくて道に迷い、匈奴との戦いに遅れてしまい、単于を逃してしまいました。武帝の処罰がないのに、誇り高き李広は自分を許す事ができず、自刎しました。
例えば、西楚の覇王・項羽は紀元前212年、800人の軍隊を率いて「四面楚歌」の包囲網を突破します。包囲網の突破ができましたが、逃げ道で慌てて迷子になり、陰陵県に着いた時に道に迷ってしまいました。田父に道を尋ねたところ、項羽は真逆の方法に案内されて、沼沢の地に陥り、漢軍に追いつかれてしまいました。結果、項羽の軍が敗れ、項羽も自らの首を刎ねました。
もし項羽が迷子にならずに江東へ帰れたら、もし道を尋ねた田父が正しい道を案内していれば、歴史が変わっていたのではないか。歴史の分岐点が交通事情にもかかわるのだと、今でも歴史ファンの間で討論されています。
註:
①中国語原文:一達,謂之道路,二達,謂之歧旁,三達,謂之劇旁,四達,謂之衢,五達,謂之康,六達,謂之莊,七達,謂之劇驂,八達,謂之崇期,九達,謂之逵。(『爾雅・釋宮』より)
②中国語原文:管仲、隰朋從於桓公而伐孤竹,春往冬反,迷惑失道,管仲曰:「老馬之智可用也。」乃放老馬而隨之,遂得道。(『韓非子・說林上』より)
(翻訳編集・常夏)