慈覚大師 円仁(Daderot, CC0, via Wikimedia Commons)

 円仁(794〜864)は第19回の遣唐使として入唐した求法僧です。唐で求法した10年間、円仁は幾多の辛酸を嘗め、強靭な精神に支えられ、今の江蘇、山東、河北、山西、陝西、河南、安徽などの7つの省に足を運びました。彼は自らの厳しい求法の旅を書き綴り、その在唐日記である『入唐求法巡礼行記』は、玄奘の『大唐西域記』、マルコ・ポーロの『東方見聞録』と共に、世界の三大旅行記と称され、高く評価されています。

 一、出生、出家、入唐を決意

 円仁は794年に生まれ、9歳で大慈寺に入り、鑑真の第三代弟子であった広智和尚の下で修行をし、15歳の時、比叡山延暦寺に上り、日本天台宗の開祖である最澄に師事しました。

 最澄は遣唐使として804年に入唐し、天台山国清寺(※1)で仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を創建し、日本に於ける天台宗を開きました。

 円仁は最澄に仕え、学問と修行に専念し、師から深く愛され、師の代講を任させられるようになりました。最澄が示寂した後、円仁は日本各地で布教を行いましたが、延暦寺における教学上の疑問を解決するため、835年、円仁が42歳の時、入唐求法をすることを決意しました。

最澄像と信濃比叡根本中堂(CC BY-SA 4.0)

 二、苦難の入唐求法

 1.3度目の渡海

 835年と836年の2度の渡航を失敗した後、承和838年6月17日、円仁らは唐へ向けて博多津を出港し、3度目の渡航を試みました。7月2日、ついに揚州海陵県東梁豊村に無事に上陸しました。

入唐求法巡禮行記(パブリック・ドメイン)

 2.天台山を目指したが、頓挫・・・

 唐に上陸した円仁は、かつて師僧の最澄が学んでいた天台山を目指そうとしましたが、規制が厳しくなっており、許可が下りず、そのまま帰国しなければならない事態に陥りました。そこで円仁は危険を冒して、遣唐使一行から離れ、不法滞在することを決意しました。

 3. 「五台山」という新たな目標

 円仁は在唐新羅人張宝高が創建した赤山法華院(現山東省威海市)にしばらく身を寄せ、そこで天台山の代わりに五台山(※2)を紹介され、五台山を目指すことにしました。『入唐求法巡礼行記』によると、円仁は、58日間かけ、約1270キロメートルを歩き、ようやく五台山に到着しました。

 4.五台山巡礼

 840年、47歳になった円仁は五台山を巡礼し、五つの峰、東台、西台、南台、北台、中台にも登頂しました。五台山では、長老の志遠から「遠い国からよく来てくれた」と温かく迎えられたそうです。そして、円仁は延暦寺の未解決問題「未決三十条」の解答を得て、日本にまだ伝来していなかった五台山所蔵の仏典37巻を書写しました。五台山に滞在した60数日の間、南台の霧深い山中で佛光等の奇瑞を多数目撃したりして、文殊菩薩の示現に違いないと信仰を新たにしました。

 5.長安への求法

 円仁は、当時世界最大の都市であった長安へ行くことを決意し、五台山から約1100キロメートルを53日間かけて、徒歩で旅をしました。その際、大興善寺(※2)の元政和尚から灌頂を受け、金剛界大法を授き、そして青竜寺(※3)の義真和尚からも灌頂を受け、胎蔵界・盧遮那経大法と蘇悉地大法を授きました。

 6.帰国までの長い旅

 840年に即位した唐の武宗は道教に傾斜し、仏教弾圧を行いました。845年(会昌5年)になると、唐の殆どの寺院は破壊され、僧尼らは強制的に還俗させられ、外国人僧侶に対する国外退去命令も出されました。一時還俗を強いられた円仁は、大切な経典や法器などを守りながら、長安を逃れました。846年5月、会昌の廃仏がようやく終焉を迎え、その翌年、54歳となった円仁はついに帰国の途に就きました。
円仁は新羅商人の貿易船に便乗して、847年9月19日に、大宰府鴻臚館に入りました。帰国の際に、円仁は経典559巻、両部曼荼羅、舎利、法具などを持ち帰りました。

 三、天台宗の発展に尽力

 帰国後、円仁は日本天台宗の発展に力を尽くし、854年4月3日に61歳で第3代天台座主に任命されました。彼が開山・再興したと伝えられている寺院は関東に209寺、東北に331寺余あるとされています。864年、円仁は71歳で示寂し、清和天皇により、「慈覚大師」の諡号が贈られました。

(※1)中国浙江省台州市天台県天台山にある仏教寺院。天台宗の中心的な寺院として知られる
(※2)中国山西省五台県にある古くからの霊山である。文殊菩薩の聖地として、古くから信仰を集めている。別名は清涼山である。
(※3)中国西安市雁塔区にある寺。隋の文帝が仏教復興の象徴、または国寺として建立した寺である。
(※4)西安市雁塔区にある仏教寺院。空海ゆかりの寺として知られている。会昌の廃仏によって廃毀された。

(文・一心)