チェコの有権者は9日の投票で、第二次世界大戦後初めて、共産党を議会から追放することに成功した。
チェコは1948年から共産党の支配下にあり、民主主義が導入されたのは1989年のビロード革命以降のことである。チェコでは共産党はもう与党ではないが、国会で一定の議席を確保していた。
1950年代、共産党政権は数万人ものチェコ人を強制労働収容所に入れ、劇作家であるヴァーツラフ・ハヴェル氏(後にチェコ共和国初代大統領)などの反体制派を残虐に弾圧した。
チェコスロバキア共産党の直接の後継者であるチェコ・モラビア共産党(ボヘミア・モラビア共産党)は、1989年の政変の直後に成立され、共産党の名を残し、中東欧で数少ない、マルクス・レーニン主義を堅持する政党の一つである。今回の国会議員選挙では、チェコ・モラビア共産党はほぼすべての選挙区で3.62%の得票率にとどまり、国会議員になるための基準である5%を下回った。
チェコ人のジリ・グルントラッド氏(69歳)はロイター通信に「この結果は遅すぎたが、とても喜んでいる」と語った。同氏はチェコ共産党支配下の反体制派で、『憲章77』(注)の声明に署名し、1981年から1985年まで国家転覆罪で共産党に投獄された。
「中国共産党とキューバ共産党(編集部:日本共産党、ベトナム共産党はまだある)を除いて、チェコ・モラビア共産党は、共産党という名称を維持している世界で最後の政党の一つだ。他の政党は、少なくとも党名を変更し、異なる行動を取り始めた」と、グルントラッド氏が述べた。
1989年以降、チェコ・モラビア共産党は、高齢者やチェコ人労働者にアピールしようとしたが、若い有権者の支持を得られず、自由を扼殺する全体主義的支配者という党のイメージを変えることができなかった。
同党指導者であるヴォイチェフ・フィリプ氏は、選挙結果に対し「確かに非常に大きな敗北だったので、失望した」と述べ、辞任を表明した。
注:『憲章77』とは、1977年1月1日にチェコスロバキアの改革派が人権回復を求めて発表した宣言。人権尊重をうたったヘルシンキ宣言や人権条約を引用し、「わが国では人権や市民的自由が著しく侵され、政府が署名しているこれらの文書や条約は単なる紙切れになっている」と主張した。当局は憲章署名者を反共シオニスト・センターの手先ときめつけ、圧力を加えた。
(翻訳・徳永木里子)