台湾彰化県福興郷福南村の三清元宮鳳凰貝殼浮雕(lienyuan lee, CC BY 3.0 , via Wikimedia Commons)

 鳥たちの囀りがお好きでしょうか。あの多彩で奇麗な羽と、奏でる楽器のような美しい声は、身体中に響き、心に染みてときめき、楽しませてくれますね!実は、音楽の中の十二音階、および中国の楽器の笙、簫、笛などが、鳥の鳴き声に基づいて発明されたのだそうです。その鳥は鳳凰です。

 かの神秘的な崑崙山脈の上、西王母の管轄する地域には、一面の沃土があります。そこは世界で最も豊かな場所で、食べきれない美味佳肴と、飲み干せない甘泉(かんせん)があります。真珠や玉石がぶら下がる木々たちとともに、珍獣たちが楽しく暮らしています。

 その中には、優雅で細く長い首、凛とした背中、しなやかな長い尾、そして色とりどりに輝く羽を持つ鳥がいます。それが鳳凰です。

 鳳凰の身体中に、美徳を代表する文字が刻まれています。頭には「徳」、背中には「義」、腹には「仁」、両翼には「順」と書かれています。伴奏がなくても、鳳凰は自ずと歌い踊りだします。鳳凰がこの世に姿を現すと、とても穏やかで平和な世の中になります。

 百鳥の王者である鳳凰が鳴ると、すべての鳥が巡礼に来ます。しかし、鳳凰は最初からこんなに尊い存在ではありませんでした。

鳳凰(清・戴洪「画齢寿万年・鳳凰祥雲」、台湾国立故宮博物院)

 昔々、鳳凰もごく普通の小鳥で、色とりどりの羽を持っていませんでした。しかし鳳凰は、のらりくらりと遊んでばかりの鳥たちとは違い、朝から晩まで働き、他の鳥たちが捨てた果実を一つ一つ拾い、洞窟に貯め、いざという時に備えていました。

 ある年、森で大干ばつが発生しました。鳥たちは食べ物を見つけられず、餓死する寸前でした。その時、鳳凰は自分の洞窟を開けて、長年貯蔵した果実を惜しげもなく取り出し、鳥たちに分け与えました。鳥たちの命が助かりました。

 大干ばつの後、鳥たちは鳳凰に恩義を果たそうと、感謝の意を表明するため、それぞれの身体から最も美しい一本の羽を抜き、光り輝く五色の衣装を作り、鳳凰に捧げました。鳥たちは一斉に、鳳凰を「百鳥の王」と推しました。

 以来、鳳凰の誕生日になると、すべての鳥たちが飛んできて、鳳凰に拝礼とお祝いをします。これが「百鳥朝鳳(ひゃくちょうちょうほう)」の由来です。

 鳳凰は、気高く美しいという特質を持っているため、女性の美しさの象徴として人々に愛されています。

 古代中国で最も尊い女性・皇后さまは、鳳凰の図案の刺繍が施される服「鳳袍(ほうほう)」を着用し、鳳凰の模様のする宝飾品「鳳冠(ほうかん)」を頭にのせ、色とりどりの羽根で飾り、鳳凰の模様の彫刻で飾られる車「鳳凰輿(ほうおうよ)」を乗って出かけます。これも、鳳凰のような美徳を備えているからこそ、天下の母の儀範である皇后になる資格を持つことを意味します。

 庶民も鳳凰をこよなく愛します。今の中国でも、花嫁さんは結婚式で「鳳冠」をかぶり、華やかな衣装を身にまといます。結婚式で花嫁となる女性は、人生で最も美しく、鳳凰のように人々の賞賛と祝福を浴びるからです。

 鳳凰は、ただ単に美しい存在というだけではありません。大きな困難を乗り越えて生まれ変わったことを、中国人はよく「浴火鳳凰(炎を浴びた鳳凰)」と表現します。鳳凰はなぜ炎で蘇られるのでしょうか?こんな逸話があります。

 太古の昔に、宇宙での正邪間の大戦がありました。鳳凰は龍と共に真理を守りました。大戦は非常に厳しく、龍族の死傷者は甚大でした。ある龍は重傷を負いながらも必死に戦っています。身を捨てて救援に向かう鳳凰は、危機一髪の瞬間で身を挺してその龍を庇い、自らの命と引き換えに龍を助けました。

 鳳凰の動きは天界を揺るがしました。大変感動した龍は、躊躇うことなく、「真火真功」を吐き出し、極めて特殊で貴重な「起死回生」の神通を鳳凰に与え、炎の中で灰になりかけた鳳凰を蘇えらせました。

 それ以来、炎の中でも「起死回生」の神通は、鳳凰の身体の一部になりました。高次元の神通力で構成された鳳凰の羽根は、一枚一枚、絶えず燃え続ける五色の炎でできているように見えます。なんて美しいのでしょう!

 こうして、炎で涅槃して生まれ変わる鳳凰の物語は、遥かなる宇宙から語り継がれてきました。

 伝説に見える想像上の瑞鳥と思われる鳳凰。しかしそれは本当にただの想像でしょうか。

 古代の典籍では、鳳凰の出現が何度も記されています。例えば、李白が訪れた「金陵の鳳凰台」は、鳳凰が生息していたことから名付けられたのです。ただ、鳳凰の出現があまりにも稀すぎたので、人々はその真実をだんだんと忘れてしまいました。

 鳳凰は太平の世の象徴ですが、おそらく、今の世の中が乱れすぎて、人々はもう神妙を信じなくなったから、鳳凰を見ることもできなくなったかもしれません。いつか、世の中が本当の太平の世に戻ったその暁には、人々は再び鳳凰の姿を見ることができるのでしょう。

(文・宜文/翻訳・清瑩)