中国吉林省のある住民はこのほど、「電力制限のせいで、一家3人が死にかけた」という恐ろしい体験をウェイボー(微博、Weibo)で紹介した。
その内容を一部抜粋したもの以下の通りである。
電力制限で私たち家族3人が死にかけました。 我たちが一酸化炭素中毒になったのは、おそらく東北部で家庭用電力の制限のせいだと思います。
石炭を燃やして暖めていたら、電気がないため、換気扇が動きませんでした。それで一酸化炭素が拡散されず、家族全員が一酸化炭素中毒になってしまいました。母は最もひどく30ppm、父は26ppm、私は21ppmでした。
当時の様子について詳しく説明します。
私は夜中に父に起こされ、母が心臓発作を起こして気絶して意識がないと言われました。その後、起き上がった時には頭がぼうっとして、めまいがしたのは、感情の起伏が大きかったせいだと思っていました。
家に心臓病の薬がなかったので、伯父さんのところに行って薬をもらってくるよう父に頼みました。母のためにお湯を沸かそうとし、二、三歩歩いただけで倒れてしまいました。当時、「自分はどうしてこんなに弱いんだろう。パニックのせいで吐き気がして、心拍数が上がり、全身の力も抜けてしまった状態になった」と考えていました。「だめだ、倒れてはいけない」と踏ん張って、朦朧としながらも救急車を呼びました。
伯父さんを尋ねて外に出た父は新鮮な空気を吸うと、少し元気になり、症状がやわらげられました。私は救急車に連絡しましたが、救急車はなかなか村にある私が家にたどり着きません。そして、私は服を着て大通りまで、かなり遠くの距離を走りました。私は大通りで携帯電話のライトを持って待っていたら、真夜中の12時を過ぎた頃、救急車がようやく見え、早速家に案内しました。心臓発作だけでなく、一酸化炭素中毒の可能性もあると、救急隊員に伝えました。
母を救急車に運び入れてから私も乗りました。救急車に乗るとすぐ嘔吐し、病院に着いた頃には意識朦朧となっていました。父は後ほど伯父さん夫婦に病院に送ってもらいました。
大変でした。一家3人そろって命を落としかけていました。高圧酸素チャンバーで酸素を吸入しているとき、まだ3人は生きていることを実感しました。家族の雰囲気が少し重かったので、私は救急車に関するジョークを両親に言い聞かせました。両親は意識が少しはっきりしてきて、笑ってくれました。
その後、両親は入院し、私は入院していません。高圧酸素チャンバーで酸素を吸わなければならない日が続いています。母は20日間、私と父は10日間です。今、両親の身回り品を用意するための帰り道にいます。
思い出すだけで涙が出てしまいます。
(翻訳・徳永木里子)