ルネサンス時代の著名なイギリス人の政治家で航海家のウォルター・ローリー(Walter Raleigh、1554年 – 1618年)は、「黙せる恋人」という詩を書きました。詩の中で、ローリー氏は情熱を水に例えました。
「情熱を流れる水に例えるのは最も相応しいです。
水が浅いと呟きのように流れますが、水が深いと静かで音を立てないのです。
言葉にできる情熱は、嘘ではないかもしれませんが、
その底は浅いものです。
言葉にできるほど、
その恋心は下心であり、はかないのです。」
世の中の誠実さと善良さも、水のようではないでしょうか。わざわざ誇張して見せびらかさず、静かで穏やかな気持ちになってから、はじめて高い思想の境地に達することができます。
子供の頃に、お年寄りからこんな話を聞いたことがあります。
ある日の朝、父親が息子を誘って、森の中を散歩に行きました。親子はある曲がり角で立ち止まりました。しばらくすると、父親は「小鳥の囀り以外、君はどんな音が聞こえるか」と息子に尋ねました。息子はちょっと耳を澄ませてから、「馬車の音が聞こえた」と答えました。「うん、あれは空っぽの馬車だね」と父親は言いました。
驚いた息子は、「まだ見えてもいないのに、なぜあれが空っぽの馬車だと分かるの?」と父親に尋ねました。「馬車が空っぽかどうかは音で簡単に分かるよ。馬車が空っぽであればあるほど、騒音が大きくなるから」と父親は答えました。
大人になった息子は、口だけ達者な人、他人の話を一方的に遮る人、独り善がりな人、人を貶す人でなしを見かけるたびに、「馬車が空っぽであればあるほど、騒音が大きくなるから」と、いつの日か昔、父親から聞かされたこの言葉が、今にも耳元にはっきりと聞こえてくるように蘇るのです。
川を渡る人は、渡る前に小石を水の中に投げ込んで、川の水深を推定します。水しぶきが高ければ川の水深は浅く、水しぶきがあまり上がらず水音すら聞こえない川は、底知らぬ深さがあるかもしれません。
水が深いと音は立たないのです。
馬車の中が軽ければ軽いほど、動くと大きな音がするのです。
人生も同じでしょう。顕示せず、誇示せず、謙虚にして驕らずとは、人間修養の基本として備えるべきでしょう。日常において人と穏やかな口調で会話すれば喧嘩は避けられます。そして、自己主張するばかりではなく、人の話に耳を傾け、聞き上手に回れば、きっともっと多くのことを学び得ることが出来るでしょう。
(文・貫明/翻訳・清瑩)