Cultural Revolution Museum(Yangziyuan, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons)

 中国共産党(以下、中共)当局はこのほど、いわゆる「共同富裕」を実現するための会議を開きました。これは国民の富を奪うことを公然と宣言したものとみなされ、国民に大きな不安を与えました。その後、芸能界のスターたちは、中共によってネット上で封鎖されたり、巨額の税金や罰金の支払いを余儀なくされたりしています。8月29日、中国の複数の公式メディアは、中共の最近の公式行動を「深刻な変革」と表現し、この変革を邪魔する者は「切り捨てられる」と述べた個人メディア(セルフパブリッシャー)の論評を集中的に転載しました。ネットユーザーは、これが第二次文化大革命(文革)の始まりの最初の「大字報(注)」として考えています。

 「誰でも感じ取れる、深刻な変革は今進行している最中だ!」と題するこの文章は、ソーシャルメディアの微信(ウェイシン)で「李光満」の名前で文筆活動をしている人物の手によるものでした。当初は「李光満氷点時評」という個人ブログに掲載されていました。

 8月29日、共産党機関紙の人民日報や国営新華社通信、中央軍事委員会機関紙の解放軍報、CCTV、中国青年報、中国新聞社などの主要政府系メディアが一斉に、この文章を各自の公式サイトで転載しました。

 李光満氏が8月28日に発表したこの衝撃文章は冒頭から、まずは中国の芸能界・文化界を槍玉にあげて、「芸能界・文化界全体はすでに腐りきっている」との激しい表現で断罪しました。中共中央インターネット情報弁公室は芸能界の宴会を管理したこと、税務総局が芸能人の鄭爽(ジェン・シュアン)に脱税した税金と罰金を追納して計約3億元(約51億円)を要求したこと、趙薇(ヴィッキー・チャオ)と高暁松(ガオ シアオソォン)の作品が各重要なオンラインプラットフォームでブロックされたことなどの事件を、政治的問題に昇格しました。3人の芸能人たちの「罪状」を詳しく羅列した上で彼らに対する追放を称賛しました。

 また、アントグループの上場中止から中共の「共同富裕」の提案まで、「中国では大きな変化が起きているのだ。経済領域から金融領域、そして文化領域から政治領域において深刻な変革が発生している」と論じています。この深刻な変革は中国の「社会主義の本質への回帰」であり、「人民を中心とするこの変革を邪魔する者は全部切り捨てられるだろう 」と書かれています。

 ネット上の情報によると、李光満氏は上海の公式メディア「観察者網」のコラムニスト兼シニアエディターで、「華中電力報」の元編集長を務めていました。

 8月上旬、李光満氏は、中共当局の見解と異なる「コロナとの共存」論を唱えた上海の医学者、張文宏氏が複数の中国メディアに攻撃された事件に巻き込まれました。8月9日に「『コロナとの共生』論は降伏主義であり、断固反対すべきだ!」という記事を掲載しました。同氏の他の記事も極めて反米的な内容でありました。

 学者の高伐林(ガオ・ヴァリン)氏は、中共の大手メディアが個人メディアの記事を転載したのは極めて稀で、これは明らかに、中共の宣伝部が統一的に手配したものであるとツイートしました。

 一部のネットユーザーは、公式メディアよっておだてられた李光満氏の記事を、文化大革命の始まりにおける最初の「大字報」と評し、中共が第二の文化大革命を起こすことを示唆しました。

 文化大革命の最初の「大字報」

 1966年5月25日、北京大学哲学科の聶元梓(じょうげんし)書記は、北京大学の食堂で『宋碩(せき)、陸平、彭佩(ほうはい)雲は文化大革命でいったい何をしたのか?』と題する「大字報」を貼りました。同年6月1日、中央人民ラジオは大字報の全文を全国に放送したことで、全国的な反乱を引き起こしました。その後、中共の毛沢東主席と劉少奇国家主席の対立はより深刻化して公になりました。そして、劉少奇は自由を失い、投獄されたまま亡くなりました。

 注:大字報は、中国の文化大革命時代に発行されていた壁新聞のことである。大字報は1957年の反右派闘争以降に発展して、文化大革命(文革)の中で定着した。毛沢東は大字報を非常に効果のある新式の武器であるとして、大衆のいる所で大字報を活用するということを強調した。

(翻訳・徳永木里子)