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中国の感染症専門家である張文宏氏が名指しで批判されたことから、中国での新型コロナウイルス「デルタ株」の感染拡大をきっかけに、現在の中国政府のコロナ対策が指摘、疑問視されている事がわかります。このような指摘や疑問は、国際的なメディアや中国社会の周辺だけではなく、体制の奥深くまで入っています。つまり、状況は実に深刻なのです。
張文宏氏は、体制内で指摘と疑問を穏やかに投げかける人物でした。しかし中国では、上層部が決めた内容に対し、指摘や疑問の内容に関係なく、語気が強かろうが弱かろうが、少しでも疑問を抱けば大騒ぎになります。指摘や疑問を持つこと自体が連鎖反応を起こすものとなり、その影響と範囲はコロナ対策の議論そのものをはるかに超えます。このことは特に重点的に話すべき内容です。
8月7日、中国共産党の元衛生部部長であり、現在は中国衛生経済学会の総顧問である高強氏は、「ウイルスとの共存は絶対あり得ない」という記事を「人民日報」に掲載しました。 この記事は、上海のコロナウイス専門家グループの責任者である張文宏氏が7月下旬、「現在、多くの人はウイルスの流行が短期的には終わらず、おそらく長期的にも終わらないだろうという見解を抱いている。世界の大多数のウイルス学者もこれは、常駐ウイルスであると認めている。世界はこのウイルスと共存する方法を学ぶ必要がある。」と発言したことに向けられています。 現在、中国の多くの場所でデルタ株が発生しており、南京、揚州、鄭州は比較的深刻な状況となっています。 1人が感染して1万人が隔離されるという対策は社会を停滞させており、ウイルスの長期的な存在を止めることも不可能であるため、もはや持続不可能であることは明らかです。張文宏氏は、現実を直視して、コロナ対策の考え方を調整する必要があると提言したのです。
高強氏は、この提言に対して記事を掲載しました。しかし彼の記事には、ウイルスに関するデータ分析や最新の科学的知見を引用している様子は一切見られません。高強氏は記事冒頭の第1段落で、「イギリスやアメリカなどの国でウイルスと共存していることに誘発されて、多くの発展途上国がコロナ対策を緩めた結果、世界各地で第2波、第3波の流行が起きている」と述べています。世界で起きている第2波、第3波の流行の原因がデルタ株ではなく、イギリスやアメリカが誘導したからであるかのような、陰謀論的な憶測に満ちた内容です。ここには「ウイルスとの共存は、敵対勢力が私たちの防疫対策を緩め、再びウイルスを入らせて私たちを苦しめるように誘導する手段である」という意味の、強い暗示が込められています。
このレッテルはとても強力です。 コロナ対策という科学的な問題を、一瞬にして2つの思想間の政治的な闘争に変えてしまうのです。 張文宏氏の路線は、世界の主流の認識に合わせるためのものでした。もう一つは、高強氏が提唱した習近平氏のコロナ対策の路線です。 この路線は、昨年2月の習近平氏の言葉「人民戦争、全体戦争、流行を止める戦いに断固として勝利する」に集約されます。
ウイルスとの共存を唱える張文宏氏の路線が「大毒草」(大毒草とは、文化大革命の時に使われた言葉で、一般的には、当時の主流の政治的価値観に合わない文学・芸術作品が大毒草に分類され、禁止される)という意味は深刻です。国家主席である習近平氏の唱える人民戦争、全体戦争、流行を止める戦いは失敗であることを意味するのではないでしょうか?意図は何でしょうか?
高強氏は記事の中で、人間とウイルスの関係は、片方が死ぬか生きるかの関係であると述べています。 高強氏は確かに高く、力強く、マルクス・レーニン主義、毛沢東主義の唯物論の旗を掲げ、「人は天に勝つ、ウイルスは死に私は生きる」と主張しているのです。高強氏の論文は、コロナ対策という科学的な問題を完全に政治的なものにしました。
海外で中国共産党を批判すると、党を愛する国民からよく「意見が極端すぎる」と言われます。 中国共産党のコロナ対策を見てみましょう。1人が感染すると、ワクチン接種の有無にかかわらず、1万人が隔離されます。極端ではありませんか。8月上旬、人口1,000万人の大都市南京では、3回目の全面的なPCR検査が行われ、深夜から早朝にかけて長い行列ができたことは極端ではないでしょうか? マンション内の全世帯を隔離し、エレベーターも停止させ、家庭事情は全く考慮せずに全世帯が家から出られないようにしたことは、極端ではないでしょうか? 中国共産党がこのようなことをやっているにも関わらず、極端だと思わないのでしたら、私が話したこれらのことを極端だと思いますか?
高強氏の記事の中で、私が特にレベルが高いと感じた一文があります。私の知能では全く理解ができないほどの高さです。 彼は、「イギリスやアメリカなどの国は、自分たちの支配力や影響力を示すために、国民の安全や安心を顧みず、社会に対する管理措置をやみくもに解除したり緩和したりしている…。」と言っていますが、この言葉は繰り返し読んでも理解できませんでした。社会への管理措置を緩和しているのでしたら管理しなくなります。管理しなくなれば、どのように支配力を示せるのですか? 支配力を示すために管理し続けなければならないのではないでしょうか?
高強氏の言葉は確かに「支配と影響力を示すために」という重要なポイントを指摘していましたが、この言葉を英米政府に当てはめるべきではありません。権力はどのようにその存在を知らしめるのでしょうか? 私が権力を持っていることを示すためには、相手を支配しなければなりませんよね? そして、私があなたを支配すればするほど、あなたが交渉する余地がなくなればなるほど、私はより強力に見えるのです。 私が権力を持っていると言っても、あなたが好きなことをしていいのであれば、私は権力を持っていないのと同じです。 したがって、中国共産党という巨大な制御機器は、権力の存在を誰もがいつでも感じられるように管理しなければならなりません。
管理可能であろうとなかろうと、党が管理しなければならなりません。 国民が自分で解決できるかどうかに関わらず、党が管理しなければならなりません。もし、国民が自分で問題を解決でき、社会的自治を求めるのであれば、党の力は排除され、党はあまりにも煩わしいと思うのです。 そのため、例え管理すればするほど悪化したとしても、介入して管理しなければならないのです。 ひとつ覚えておいてほしいのは、中国共産党は現実の問題を解決するために管理をするのではなく、人々をその時々で従属させるために管理をするということです。 人々を自分に従わせるために、より深刻でより多くの問題を作り出すことができるならば、それを躊躇することはないでしょう。
ハンマーでネジを取り出すことは容易ではありません。ハンマーで家具を叩き、壊すことで、家具からネジを取り出すことができます。しかし、コストの問題があります。 これが中国共産党のコロナ対策への考え方です。 欧米でのコロナ対策は、電動ドリルでネジを外し、家具へのダメージを軽減することで、長期的な経済への影響や長期的な社会へのコストを軽減するという考え方です。
現在の米国のCDCデータでは、ワクチン接種後の感染者数も増加していることが認められています。 第一波のワクチン接種者が、一定期間後に抗体の数が減少して、感染の波をもたらしているのかもしれませんし、ウイルスの変異によってワクチンから逃れる割合が増え、防御できなくなっているのかもしれません。 しかし、ウイルス感染のリスクが減ることで、よりワクチンの改良や効果的な薬剤の開発に時間を費やすことができます。 ウイルスによる実際にもたらした損害が軽減された後、封鎖による経済的な危害の方が大きくなり、さらに封鎖すれば、コストに見合わなくなります。 家具からネジを取り出すのと同じように、適切なドリルビットを選び、ドリルを使って適切な角度と適切な力で、確認しながら、少しずつ作業をし、力や角度を調整して家具へのダメージを軽減する必要があります。
ハンマーで叩き壊すということは、厳しく防ごうとするあまり、一人が感染することで一万人が隔離させられることです。最後にネジは取り出せても、家具はダメになり、経済も終わります。
(翻訳・神谷一真)