柳下恵(パブリック・ドメイン)

 柳下恵(りゅうか‐けい、本名は展禽、字は季、諡は恵)は中国周王朝期の魯の国の賢者で、道徳が高尚な人として知られていました。彼は孔子と孟子から「置き去りにされた賢人」と呼ばれました。柳下恵は魯の大夫・裁判官となり、良い大臣として君主を補佐しました。三度も罷免されられますが、列国の諸侯は競い合って高い官位と多い俸給で彼を招聘しようとしました。

「座懐不乱」の美談

 ある嵐の夜、柳下恵はひとり家にいました。風が非常に大きく、隣の未亡人の家が吹き飛ばされてしまいました。彼女は慌てて柳下恵の家に駆け込みました。寒さに震える未亡人をみて、柳下恵は彼女に綿入りの服を貸してあげました。そして彼女を足の間に座らせ暖を取らせました。柳下恵の心は少しも乱れなかったため、「座懐不乱」という美談が広間しました。

大勢の敵を退く

 631年の夏、斉の孝公は魯の国を討伐するため出兵しました。これに対し魯の君主は会議を開き、宰相を召喚して対策を練りました。宰相は「柳下恵を斉の国へ使節として派遣しましょう」と推薦しました。

 魯の君主は宰相に訊ねました。「自ら斉の国へ使節として行っても、まったく話を聞いてくれなかったが、柳下恵を派遣することに、なにか効果があるのか?」

 宰相は答えます「魯の君主様は、柳下恵を期待していらっしゃらないのですか。私の知見では柳下恵なら大丈夫です。いま、柳下恵を使節として派遣すれば、たとえ斉の国の兵を撤退させることができないとしても、我が国をひどく攻撃させる事はできないと信じております。」

 魯の君主は良い対策を考え出せず、宰相の意見に賛成するしかありませんでした。

 魯の君主の命令を受けた柳下恵は、使節として齊国への派遣命令を受け、斉の孝侯に謁見しました。

 斉の孝侯は問いました。「そなたの君主は、我が軍勢が国境に迫っていることを知って、さぞ恐れておるだろうが、いかがかな?」

 柳下恵は答えました。「魯の君主様は恐れておりません。」

 斉の孝侯は語気を強めてこう言いました。「何を言うか!私は魯の国の街並がめちゃくちゃになっているのをこの目で見た。まるで国が滅びて行くように、庶民は家を取り壊し、森林を伐採して、城郭は応急処置が必要なほど弱っているではないか!よいか、私はもう魯国を我が国として見ているのだぞ。 それなのにどうして、君主は恐れていないと言うのだ?」

 柳下恵は言います。「我が国の君主はなぜ恐れないのか、彼の先祖が周朝の王室、分封が魯国であるためだ。あなたの先祖も周朝の王室、分封が齊国であるのです。祖先は同じ周王朝の王家からです。先祖の二人が周朝の南門から一緒に出た時、1頭の羊を生贄にし、先祖に誓い、友好を誓い合ったではないか私達の君主あの生贄にされた羊を思うととても戦う気などありません」

 柳下恵は自らの胆力と識見そして弁舌の才によって道理を説き、見事斉の孝侯とその大軍を撃退しました。

出典:『毛詩正義』卷十二、『説苑』卷十二

(原文・洪熙 / 翻訳編集・李誠慶、光子)