7月20日から中国の河南省鄭州市では、稀に見られる豪雨が降り続け、市内では重度の洪水が発生し、鉄道、高速道路、航空など交通機関が深刻な影響を受けました。7月21日の公式発表データによると、河南省の89の県、市、区の560の郷の120万人が影響を受け、鄭州市では死者25名、行方不明者7名、16万人以上が緊急避難をしました。しかし、ソーシャルメディアやネットユーザーが投稿した動画や写真、文章から見れば、実際の死者・行方不明者数は公式発表をはるかに上回っています。今回の鄭州市での洪水について、中共メディアが真相を報道しないため、ソーシャルメディアやネットユーザーが投稿した情報の一部を整理して転載します。
生存者:
皆さんに心配させましたが、今は無事になりました。私は昨晩5号線の沙口路の生存者です。このように表現せざるを得ないです。手は未だに震えています。初めで車内に浸水した時、長い時間が経ってから、車掌室のドアが開きました。私たちは車内で壁や手すりを掴んで、トンネルを沿って外に向かって歩き始めました。しかし、水の流速があまりにも大きいため、戻って行かざるを得ませんでした。後に聞いたことですが、歩き続けた人には、外に出た人もいれば、途中で水に流れてしまった人もいたそうです。人が多すぎるため、即時に情報を得ることができませんでした。車内に戻って来た後、最後の車両ではドアを開けるので、そこに行こうと提案した人がいました。しかし、私は最後の車両から先頭の車両まで来たので、車両は傾斜状態になっており、後部は低く、水深が腿まで深くなっていることを知っていたため、後部に行かなく、先頭の車両でずっと待っていました。
数分後、ドアが閉められ、停電して、車内には真っ黒になりました。最初にドアを開いた車両には水位が速やかに上昇して、胸まで達し、車外の水位は窓を超えていました。車内には数百人、千人を超えたかもしれません。人が多いため、泣き声、罵声などいろんな雑音で混乱し、酸欠のため窒息しそうになり、のどが渇いできました。体力を保存するために、話さなく、動かなく、冷静になるには、車内の雨水を飲み続けていました。私は夫の両親に、彼らを愛しているとのメッセージを送り、遺書を書きました。携帯のバッテリーは9パーセントしか残ってありませんでした。
車外の水位は車内よりも高く、ドアも開かないため、誰もがドアを壊すことを躊躇していました。壊そうとしても、車内にはハンマーなどがないし、しかも、壊したら車外の水の激しい流れに、みんながあっという間に流されてしまい、後部車両の人には生存の希望が無くなる恐れがあり、壊さなければみんなが窒息して死亡する可能性があるなど、みんなで言い争いながら車の中で待っていました。車掌と運転手は姿さえ見えなくなりました。「彼らは助けを求めに行ったら」とみんなが期待していました。すべての電話がつながらず、どのくらい時間がかかったかわかりませんでした。車内には記者や地下鉄の従業員もいました。みんな必死でメッセージを送ったり、電話をかけたりしていました。110番や120番、119番、市長などに電話しても、すべてつながりませんでした。ようやく電話がつながりましたが、相手に「窓を壊して自分ですくってください」と言われました。私たちはその瞬間、心が折れ、絶望しました。
窓を壊すために、みんなが消火器を探し始めました。やっと、一つ見つかりました。車両の右側が左側より高かったので、みんなが交替しながら右側の窓を先に壊そうとしました。しかし、みんながすでに体力がすでに弱くなったため、窓を壊すことができなく、逆に消火器が壊れて、車内にドライアイスの白い粉が拡散したため、本当に死にそうになり、頭がクラクラしてきて、手すりが捕まえなくなりました。誰かが後ろから支えてくれたので私は倒れませんでした。水面には白い粉がいっぱい入っているため、水中に潜って水を飲みまくりました。隣にいた人に飲まないように警告されました。私は頭がぼーっとしてきました。ついに、窓は壊れました。その瞬間、すべての人が泣きそうになり、必死に息を吸っていました。誰かが水の入ったボトルをくれたが、私はすでに動けなくなったため、周りの人に蓋を開けてもらいました。
その後、水を汲み上げていると言われたので、水位が少し下がりました。私は体力がすこし回復したので、ある妊婦を支えてあげました。車内には妊婦と子供が数人いました。私たちは彼らに新鮮な空気を吸わせるために、彼らを窓付近に送りました。その後、救助隊が来ました。私の隣にいた若い男性が、「お姉さん、先に行ってください」と言ってくれました。彼はどうなっているかわかりません。外からも、「体力がある女性は先に出てきてください。」と言われました。私は群衆に押し出されて出てきました。外から私の手を引っ張ってくれる人がいました。オレンジ色のウエストコートを着た人を見て、やっと生きていけるだろうと思いました。
トンネルの手すりを掴んで少しずつ歩いて出てきました。地上に出てきた瞬間、心が折れて、大きい声で泣き始めました。私たちは約4時間も車内に閉じ込められていていました。一番絶望的だったのは、車内の水位が絶えず上昇し、空間が狭くなり、酸素がどんどん減っていくのを見ている時でした。私たちは、地下鉄の入り口で、口を大きく開けて新鮮な空気を吸い込み、雨水を飲みました。約2時間後、地下鉄の入り口が水没してしまい、すべての車が通れなくなりました。入り口には、軍隊や消防隊、救急車と近所の人しかいなくなりました。私はすでに寒くて全身が震えていました。地下鉄付近の団地に住んでいる夫婦がやってきて、自宅に行って休憩するように誘ってくれたので、私は腰を伸ばすことができなく、夫婦に支えられて彼らの家に行きました。マンションには水、電気、インタネットなどすべて停止されていました。室内には救出された人が十数名いました。
夫婦が貸してくれた衣服を着替えて、毛布に包まれて床に座ると、もはや立ち上がることができなくなりました。救出された少女は、彼女が救出されるとき、地下鉄の駅内には横になっている人たちの列ができていて、彼らの顔は布で隠されていたと言いました。それを聞いて、私は怖くて何も言えなく、ひたすら泣いていました。朝の4時に真っ暗な家の中で座っていると、隣のお兄さんは、自分は一晩中起きていて、ずっと窓から外をみていたが、救急車が数回も来て、2時と4時、二回、たくさんの人を運んで行ったと言い、自分は車両から数名を引っ張り出したが、彼らの体はすでに硬くなっていたと言ってくれました。私たちは、これ以上話し続ける勇気はありませんでした。
雨はずっと降り続けていました。高速道路の下には車が通れなくなり、高速道路の上にはすべての車が止まっていました。夫は空港で閉じ込められ、他の家族は路上で閉じ込められていました。みんなが慌てて徹夜していました。私たち救助された数人は、高速道路を歩いて家に帰ることにしました。途中、親切な男性に出会い、車に乗せてもらいました。また、二人の男性からは水を飲ませてもらいました。
帰宅後、階段を登るのが本当に大変でした。長い間会えなかった家族と再会し、義理の母が作ってくれた生姜焼きのスープを飲みました。頭を洗うとき、髪の毛からガラスの破片が出てきました。充電しながら、携帯電話の電源を入れると、電話がいっぱい入っていました。まるで大昔のことのようで、昨晩は、生き戻ってくるとは夢にも思いませんでした。私は本当に死ぬだろうと思っていました。私は一人っ子で、ちゃんと親孝行していなく、息子はまだ誕生日を迎えていません。昨晩、車内であの記者は、「私が二人の子供の母親だ」と大声で叫んでいました。周りの多くの人が泣きながら、電話で予言を伝えていました。私は死んだあと、身分が確認できるようなものを残すために、必死にかばんを抱えていました。多くの人が気を失って倒れた後、立ち上がれなくなりました。すべての救助者、軍隊、手を出してくれた見知らぬ人々、我々のことに注目してくれた人々に感謝します。生きていてよかったです。
鄭州市地下鉄職員:
鄭州市の地下鉄職員を名乗る人はこのように書いてあります。私はマークされても構いません。地下鉄従業員として、勇気を出してこのように話します。運行管理のリーダーは、決断する勇気がなかったです。自分の官職を守るために、迷惑なことに巻き込まれたくないためです。すでに赤信号が出ている状況で、運行を続けたため、最終的には残虐な結果となりました。現場での決定リーダーが、現場の状況を把握してないため、対応が遅れてしまいました。水が軌道に冠水してから、軌道が水没し、運行不能になり、電線が浸水して停電し、ホームが水没し、生存の希望が無くなるまで、全体の過程は急に発生したわけではありません。過程には非難する機会は数回もありました。しかし、運行管理のリーダーは自信がないため、躊躇していました。
当番の操車係が電車を駅で止めず、当番の運転手が一番早い時期にドアを開けて乗客をホームに避難させなかったのは、みんながルールを守って、過ちを犯したくないからでした。結局みんなが殺人犯です。事件の全過程がおかしいです。なぜ電車が両駅の間に止まったのか、なぜ水位が人の頭まで上昇するまでドアを開けなかったのか、もちろん自然災害は発生しましたが、予告なしに起こったわけではありません。各自には思惑があって、リスクした結果です。人為的な災害が主な要因です。国民の命を無視し、国の財産を汚物のように扱い、政府が命令を出さなかったため、責任を逃れるために、運行を続けたでしょう。事件が発生しました。彼らは今後、罪悪感を抱えて生きていくことになるでしょう。
ネットユーザー呂千栄:
これは一分間内に水没した鄭州市の京広路トンネル5キロの出口での救助現場です。どれほどの車が水没し、どれほどの人が溺死したのでしょうか。現場の映像を見ると、99.9パーセントのドアが開かず、一部の車両には数人が死亡しました。これは自然災害ではなく、人災です。鄭州気象局は7月20日、豪雨のレッドアラートを7回発令しましたが、指導者たちは何をしていたのか。職能部門やスタッフは何をしていたのか。政府には自然災害に対する早期警報や対策などはあるのか。鄭州市と河南省の豪雨・洪水の真相をすべて明らかにしてもらい、人災の責任者を厳しく追及することを求めましょう。
浸水した鄭州市地下鉄の入り口:
郑州水灾的地铁 pic.twitter.com/pUcYy2VQhR
— 网络国赵无界 (@zhaoworld) July 20, 2021
インタネットには個人が掲載した情報はまだまだたくさんありますが、今日はこの3件を整理して皆さんに伝えます。
(李真実チャンネルより転載)