(イメージ / Pixabay CC0 1.0)
めったにないことだが、週末は珍しく暇で、自然に目が覚めるまで寝ていられた。
息子はもう起きていて、今は居間で遊んでいる。物音を聞いて私が覚めたと分かり、私のところに走ってきた。ママが目を開けたのを見た息子は、さっとベッドに上って、くすくす笑いながら懐に飛び込んできた。私は彼を抱き締めて、「お腹すいたな」と言った。
息子はまだうまく喋れないが、聴くのは分かるようだ。私がお腹が空いたと言ったのを聞いて、ベッドから降りて別の部屋に向かって行った。息子は私の大好きなビスケットやお菓子を持ってくるだろうと思ったが、案の定赤ちゃんの食べるお菓子が入っているボトルが運ばれてきた。その中には、息子が大好きな動物形のビスケットが入っている。
お菓子を私に手渡すと、息子は再び懐に飛び込んで横になった。「違うよ、これは子供の食べ物だよ」と言おうと思ったが、考え直してやめた。子供は自分のお菓子と大人のお菓子がはっきりと区別できる。この子はわざと自分のビスケットを持ってきてくれたのだろう。
息子が自分の食べ物を持ってきてくれた、その行為で十分私は感動させられた。自分のお菓子を分け合ってくれたのだ。このお菓子は彼にとって、世界一美味しいと思っている食べ物であるにもかかわらず。何という事もない日常的な光景ではあるが、その裏で、自分の物を私と分かち合いたいという気持ちを感じる出来事だった。
子供の選択は私に様々なことを考えさせた。生活の中で、他人に物を与えたり、与えられたりしているが、「与える」という行為には様々な種類がある。ある時は、自分にとって不要なものを必要な人に与えることがあるし、またある時には、自分にも必要なものを他人に与えて分かち合うこともある。自分の大切なものを他人に与えた息子の行為に、思いを馳せた週末の朝だった。
(文・青松 / 翻訳・宛漣音)