鮑姑(イメージ・NTDTVスクリーンショット)

 中国の四大女医と言えば、皆伝説として語り継がれる名医だ。特に、ここで言及する晋代(265年ー420年)の鮑姑(ほう こ)氏は、中国で艾(モグサ)灸治療を行った第一人者でもあった。

 鮑姑(本名 鮑潜光)の医術の凄さを伝えるには、彼女の父と夫のエピソードから語るべきであろう。『晋書』によると、鮑姑の父である鮑靚は5歳の時、「僕は前世に曲陽地方の李家の息子として生き、9歳の年に井戸から転落死をしたのだ」と突然言い出したと記載されている。驚いた一家が実際に李家に尋ねたところ、鮑靚の発言はすべて事実であることがわかった。

 鮑靚はそれ以来経典を博覧し、隠居の宗匠に「道」を伝授されるなど、道教に専念した。そして、江蘇省丹陽で道館を開いた際、中国の歴史上有名な道人である葛洪を弟子に迎え入れた。葛洪は錬丹家で医薬家でもあり、その才能を高く評価した鮑靚は、娘である鮑姑の許婚にしたと伝えられている。

 鮑姑がどのように医術を習得したのかは考証しかねるが、「医道同源」のことわざ通り、父と夫のよき薫陶を受けながら、自ずと道教を修め、高度な医術を心得るのは造作ないことであったと考えられる。

 その後、鮑靚は南海郡太守に任命され、一家で転居することになったが、鮑姑は葛洪と修行に集中するため羅浮山で隠居し、夫婦で仙人になった。葛洪が道教の修煉に専念する一方、鮑姑は医術の研鑽を深めた。高山・渓流を駆け巡り、薬の材料を探してカルテを研究し続けた彼女は、独自に艾(モグサ)灸を生み出したのであった。

 孟子曰く「七年越しの持病に、三年育ちの艾を求む」。艾は特にイボの治療に奇跡的な効力を持つ薬材とされていた。中国各地で上質な艾を探し求めた鮑姑は、遂に越秀山麓で「紅脚艾」を発見した。スティック状に丸めた紅脚艾を少量取り、皮膚の上で軽く燃焼させることで、イボがきれいに脱落し、肌がきめ細かくなる。鮑姑は南海地方で行脚した際に、この艾を使用し、数々のやまいを治癒したという。

 薬草採集中だったある日、鮑姑は川沿いで涙を流している女性を目にした。わけを尋ねたところ、その女性は顔中に出来たイボが原因で、郷の人に嘲笑されてお嫁にも行けず、悲しく忍び泣きをしていたのであった。哀れに思った鮑姑はすぐさま彼女に特製の艾灸を施した。すると、見る見るうちに全てのイボが顔から抜け落ち、白皙(はくせき)の美肌へと生まれ変わったのであった。

 鮑姑はこうして行脚しながら修行を積み、その医術で人々を助けた。その名声はたちまちに世間に響き渡り、人々は彼女の医徳に感激し祠堂を建て、その特製の艾薬を「鮑姑艾」と称した。明清の時代にも、人々は病気を直ちに治す「鮑姑艾」を探し続けたようだが、果たして手にした幸運の主は現れたのだろうか。

 鮑姑は医学書籍こそ残さなかったが、夫である葛洪の著書『肘後備急方』には100以上の鍼灸療法が記載されており、効力及び使用法が細かく説明された灸術は90以上もある。灸術に関する大半は、鮑姑の長年の治療経験によるものと推測されている。

 今日、灸術が中国伝統医学の養生法として社会的に広まった功績は、医学史上における鮑姑の貢献の賜物であると感謝すべきであろう!

(参考資料:《晋書》、《墉城集仙録》)

(文・柳笛 / 翻訳・梁一心)