一、世紀の大発見である三星堆遺跡
中国四川省徳陽市広漢市に位置する三星堆遺跡(さんせいたいいせき)は、1929年、地元の農民が溝を掘っていた際に、玉器などを見つけたことをきっかけに、1931年にイギリス人牧師である V. H. Donnithorne によって発見されました。
その後、三星堆遺跡は長い間発掘されることなく、1980 年代に入り、ようやく本格的な発掘調査が始まりました。この発掘により、大規模な住居跡が発見された他、6,095点にも及ぶ様々な玉器や金器、そして、異様な形をした青銅製の仮面や巨大な人物像が出土しました。これらの出土品は人々が認識した中国王朝の起源とされる黄河文明とかなり異なるため、世間に衝撃を与えました。
2020年に、更なる大規模な発掘が行われ、新たに金の仮面の破片、鳥の形をした金の装飾品、青銅の頭像、象牙など、500点以上の文物が出土し、今後も更に多くのものが発掘されると推測されています。
二、不思議な出土文物の数々
三星堆遺跡は長江文明に属する古代中国の遺跡の一つで、約5000〜3000年前に栄えた古蜀文化のものではないかと推測されています。
しかし、三星堆遺跡から人々の認識を覆すものが数多く出土しており、中には、奇妙な形をしている青銅人像は、人類史上に前例のないものばかりです。ここでは、代表的なものをいくつかご紹介します。
1.「青銅縦目仮面」
上の左の写真は「青銅縦目仮面」と呼ばれる像です。それは幅138cm、高さ64.5cmで、大きな耳と、奇妙に突き出た眼を具えています。突出した瞳孔の長さは16.5CMで、径は9CMあり、とても不可解な顔をしています。
2、「貼金銅人頭像」
上の右の写真は「貼金銅人頭像」と言い、金箔でできた金面を被せた青銅人頭像です。大きな目、高い鼻筋、広い口、長い耳をしているこれらの像は人々の認識を超えるものです。
3、「黄金のマスク」
2020年の発掘で、顔の右半分の黄金仮面が見つかりました。その重さは約300gで、全体の重さは約500gではないかと推測されています。それはこれまで見つかった金製品の中で最も大きく、重いものです。
4、「青銅像の王」と呼ばれる立人像
1986年に出土した細身で背の高い青銅製の大きな立人像は、青銅像の中で、最も古く、最も背が高いもので、「青銅像の王」と呼ばれています。
立人像はタキシード風の衣をまとい、裸足で高い台座の上に立ち、全高は2.62mで像の身長は1.7mとなっています。
5、神話に登場するような奇妙な青銅像
以下の左の図は人頭鳥身をしている青銅像で、右の四つは人頭蛇身をしている青銅像です。中国の最古の地理書『山海経』(※1)に描かれた神話の世界の人々を想起させます。
他にも、三星堆遺跡から大量の象牙や貝殻も出土しています。
三、三星堆文化は人類の起源を解き明かす鍵になるか?
これらの奇抜な姿の青銅像は一体どのように作られ、誰をモデルに作られたのでしょうか?数千年前の中国には、このような奇妙な姿をした「宇宙人」が住んでいたのでしょうか?
これだけ高度に発達した青銅器文明ですが、文字が発見されていないのは何故でしょうか?
当時、山々に囲まれた遠い蜀の国で、金箔を精製する技術が果たしてあったのでしょうか?
これだけの象牙は一体どこから来たのか?象はどのように狩られたのか?大量の象牙は何のために使われていたのか?そして、三星堆文明は何故突然消えてしまったのか?謎は深まるばかりです。
考古学者は三星堆文明の起源に頭を悩まし、半世紀以上も議論を続けてきました。ネット上にも、「宇宙人」説、四川古蜀地文明説、中国古代文明説、エジプト文明説、西アジア文明説、また土着文化と外来文化との融合説など、諸説紛紛としています。
最近では、先史文明説も提起されています。聖書には人間は神によって、神の姿に似せて造られていると書かれており、中国にも女媧が中国人を作ったとの伝説があります。先史文明があると認めるならば、異なる時代の人類が異なる神によってその姿を作られているため、時代が違えば、人間の姿も違うという考えです。
いずれにしても、三星堆遺跡は世紀の大発見です。この遺跡の発見は古代人類文明の謎を解き明かし、長い歴史の中で消滅してしまった文化を蘇らせ、人類起源を再認識させられるきっかけとなるかもしれません。
(※1)『山海経』は中国の最古の地理書とされている。内容のほとんどは各地の動物、植物、鉱物などの産物を記すが、中には空想的なものや妖怪、神々の記述も多く含まれている。
(文・一心)