高台に海を展望しに行きました。そこには、大勢の人がいました。
遠い水平線に、不思議な白い物体が輝いていて、みんなそれを見つめていました。あの白いものの正体を、みんなで言い当てようとしていました。
「あれは船かな?」と言う人もいますが、あの白いものは不規則な形をしています。
「ただの低めの雲じゃない?」と言う人もいますが、あの白いものは海の動きと共に動いています。
「もしかして蜃気楼?」と言った人もいました。これは大きなざわめきを招きました。興奮したみんなは次々と指を差し出しました。
「あの白いものは、上下に運動をしていて、形もコロコロ変わるから、海波に見えるのだ」と分析する人もいました。みんなが「オー」と頷きました。
あの日の天気は、曇りだったのです。私たち海を展望する人たちが立っていたところは曇っていました。しかし、遠い水平線のところには雲はなく、晴れていました。波も高く、白い波穂が揺らいでいました。日差しのないところから見ると、白い何かが見えました。そして日が差したところの白い波が輝いていました。
なるほど。あの白い物体は、ただの波穂だったのです。そして日光が差したところは、波穂が輝いていました。みんな結構言い当てていましたね。
同じ海なのに、同じ波なのに、目に映るものはこんなにも違うのです。一見何の変哲もない海でも、日差しの有無により、七変化を見せてくれます。日差しがなければ、波はただの波でしかないけど、日差しに照らされた波は、あんなにも輝くことができるのです。
人生も同じではないでしょうか。似たような人間でも、境遇によって全く違う人生を送ります。チャンスに恵まれる人は、頂まで登り、輝けるかもしれませんが、チャンスに恵まれない人は、一生無名のままです。
しかし、曇りはただの一時で、世の中は平等に日差しを浴びることができます。いつまでも晴れている空もなければ、いつまでも曇っている空もありません。輝くものはいずれ闇に帰し、明けない夜もありません。
ですから、悔いのないように、自分の成すべきことを為し、やがて来る輝きを待つだけで、十分なのです――。
(文・青松/翻訳・常夏)