米国飛天大学人文学部準教授 章天亮 博士(イメージ・YouTubeスクリーンショット)
「貞観の治(じょうがんのち)」は、中国唐王朝の第2代皇帝・太宗の治世であり、当時の年号貞観 (627~649) にちなむ呼称です。「貞観の治」の時代は中国史上最も良く国内が治まった時代と後世から評されており、政治的に理想な時代だったとされています。
では太宗皇帝の貞観の治はなぜうまくいったのでしょうか。すべては人々の心が善良だったことに帰結することができると思います。人々の道徳性が高ければ、みな自らを省みることができ、犯罪も少なくなります。そうなれば管理・監督機関も削減することができ、経済発展に注力することができます。こうして唐代の繁栄があったわけです。
道徳標準は神が決めたもの
それでは、道徳は誰が決めたのでしょうか。道徳は人が決めたものではなく、もちろん政府が決めたものではありません。道徳は神が決めたのです。人類社会の道徳を維持するためには、善悪の標準は神の手によって掌握されていると考えるべきです。この考え方は中国に限られません。世界各地の民族には同じような言い伝えがあります。神が人間に道徳基準を与え、神はまた帰ってくると人間に教えたというのです。そして最後には審判を得て、善人と悪人を分けるわけです。善人と悪人を分ける基準は政府が定めたものではなく、神が定めたものなのです。
唐王朝期は儒教・仏道・道教が繁栄した時代でした。その繁栄は人々の敬虔な信仰心と切り離せては語れません。そして、人が成長する過程において、主として「家庭」、「芸術の作品」、そして「教育」を通して道徳基準を身に着けます。
教育の目的は良い品格を育成すること
教育の目的は良い人格を育成することだと思います。現在の価値観では、名門校に行き、経済学や会計学、ITを学ぶことが教育だと思われていますが、それは大学ではなく「職業訓練学校」と呼ばれるべきです。
したがって現在の考え方は教育の本来の目的とはかけ離れています。教育とは、人々をあらゆる面で完璧な人に育て、良い品格を育成することなのです。これが教育の本来の目的です。
人間社会に登場する賢者や聖人は、最も偉大な教育家であり、最高の先生です。しかし今日、教育は衰えています。なぜなら、今日の教育は、人々を完璧な人間に育てるという責任をもはや負わず、かえって学校の中で人間の是非善悪の観念を捻じ曲げています。
人間社会はボードゲームのようであり、地球は碁盤です。人間社会は変革期に差し掛かると、東方と西方で同じように変化が起こります。中国で「文化大革命」が発生した時、米国でも実は「文化大革命」が発生しました。中国の文化大革命では紅衛兵が典籍を焼き払いましたが、西方でも同じようなことが起こりました。最もそれは暴力的なものではなく、非常に文化的な形式を通して行われました。当時、共産主義的思想に染まった左派学生運動がキャンパスで横行しました。教授陣も次第に腐食され、大学は徐々に人文古典研究を放棄し始めました。それは中国で古跡や書物が焼かれたのと同じ効果でした。社会はいつの間に変質していったのです。
本来の目的から逸脱した現代教育
なにが「善」でなにが「悪」であるかの標準は、神が決めた絶対的な尺度です。しかし現代の学生が大学を卒業するとき、「絶対的な善と悪の区別がある」と信じる学生は15%しかいません。残りの85%の学生は「善と悪は相対的だ」と信じています。 今日の学生は「寛容」を叫びますが、彼らが言っている寛容は、自分の利益に対する侵害に寛容になるのではなく、「邪悪が存在することを寛容する」ことなのです。学生たちは、「邪悪であることを邪悪と言わないでください、それは私たちと違っているだけです。私たちはそれを許容するべきです」と考えています、しかし彼らは決して正義を容認しません。もしあなたが大学で正義の声を発する時、彼らはあなたを追い出すでしょう。
カリフォルニア大学バークレー校で、保守派が嫌がらせを受け、左派に殴られている理由はこれです。左派はLGBT*を容認し、神の教えから背離する多くのことに寛容的です。しかし、彼らは保守的な考えや価値観を容認することはできません。こうして社会全体の価値観が衰退していくと、社会的な風紀も低下していくでしょう。
*LGBT:女性同性愛者(レズビアン、Lesbian)、男性同性愛者(ゲイ、Gay)、両性愛者(バイセクシュアル、Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)の各単語の頭文字を組み合わせた表現である。(ウィキペディア)
(文・章天亮 / 翻訳・襄讓)