「世の中全ての罪は皆、『傲』から生まれるものである」
これは、中国明王朝期の思想家・王陽明の言葉です。
どん底にいる時の窮屈さより、絶頂にいる時の傲慢さははるかに怖いものです。しかし、大勢の人々は、ちょっと上手くいっただけで、調子に乗り始めてしまいます。
そして調子に乗ったら、人は舞い上がってしまいます。今まで積み重ねたものを粗末にし、重みを失ってしまいます。
【思い上がりは禁物】
明王朝期に大活躍した文人・唐伯虎(唐寅)。書画に巧みで呉中の四才と呼ばれた彼は、惜しくも狂人でもありました。
29歳の時、唐伯虎は南京で行われた郷試に参加しました。試験場から出てきた唐伯虎はとにかく自信に満ち溢れ、「郷試の一位は、俺以外に誰もいないね!」と言い放ちました。
結果発表で、唐伯虎は果たして一位で合格しました。
翌年、唐伯虎は満ち溢れた自信を持って京に赴き、会試に参加しました。試験場から出てきた唐伯虎は今回も、「会試の一位は、やはり俺以外に誰もいないね!」 と言い放ちました。
結果発表で、唐伯虎はまたもや一位で合格しました。
しかし、故郷の南京で許された唐伯虎の生意気な言葉は、京では疑いを招きました。「あの人、不正をしたから一位になったのでは?」と、京での噂が止まりませんでした。
やがて、皇帝をも驚かした会試での「カンニング事件」に、唐伯虎は連座して投獄されてしまいました。科挙の受験資格も失った唐伯虎は、不遇な人生を送りました。
「君子は自分のことを威張ったり、大きく見せたり、自分の功績を自慢したりしない」と、『礼記』が教えてくれました。出る杭は打たれるように、自分のことを思い上がったら、嫉妬を招いて、やがて不運になってしまうのでしょう。
【つけあがりすぎたら】
『抱朴子』で、晋の葛洪は、「傲慢不遜な人からは、周りの人も遠ざかっていく」①と語りました。
「西楚の覇王」と号した項羽は、抜山蓋世の勇者でした。無双の武芸を持つ項羽は、、他人をものともしない無双な性格を持っていました。
例えば、項羽は劉邦をものともしませんでした。将来の禍根・劉邦を片付けねばならずと、参謀の范増は何回も進言しましたが、項羽は全然気にしませんでした。そのため、「鴻門の会」で、劉邦を絶つ千載一遇の機会を逃した項羽に対し、范増は「こんな小僧と一緒では、謀ることなど出来ぬ!」②と激怒しました。
一命を取り留めた劉邦は、やがて、項羽の敵になりました。しかし、かたいじな項羽は、劉邦のことをただ運良く王になった田舎者と見ており、敵としていませんでした。そんな劉邦を見くびった項羽は、結局、劉邦に次々と敗戦して、やがて烏江(うこう)で自らの首を刎ねて死にました。
まさにフランスの小説家バルザックが語ったように、傲慢、自負と軽信は、人生において三つの暗礁ですね。
【実るほど こうべを垂れる 稲穂かな】
『道徳経』で、老子は、「本当に完全な物は、何かが欠けている様に見えても、その働きは衰えることは無い。本当に満ちている物は空っぽに見えても、その働きは枯れることは無い」③と語りました。
傲慢な人は、世界は自分が思っているよりはるかに広いことを知らないのです。謙虚な人は、世界のさまざまな景色を見てきたからそうなのです。
『7つの習慣』の著者・スティーブン・R・コヴィー氏(1932 – 2012)は、世界有数の経営学者です。31人の世界各国の指導者に会ったことがあるコヴィー氏は、その中の多くの大統領や総理の研修を行いました。
そんなコヴィー氏は、世界で最も大きな影響力を持つ経営コンサルタントとされていても、身に余る名声だとずっと思っていました。自身が世間に教えたことに対して、コヴィー氏は「私を褒める必要はありません。私が教えたことは、私が作ったわけではなく整理しただけのものです」と淡々と語りました。普段のコヴィー氏も、優しくて親しみやすく、とても面白い人でした。
どうやら、見てきた世界が広ければ広いほど、自分の小ささを知ることができ、畏敬の念を持つようになります。謙虚な人は、今いる山頂で笑うことをせず、次の高峰を目指す人間です。
註:
①中国語原文:「驕慢倨傲,則去之者多」(葛洪『抱朴子』より)
②中国語原文:「竪子不足與謀!」(司馬遷『史記・項羽本紀』より)
③中国語原文:「大成若缺,其用不弊。大盈若沖,其用不窮」(老子『道徳経』より)
(翻訳・常夏)